例)大人になった今、あの時先生が叱ってくれた意味がわかりました。 ありがとうございます! |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白感謝: | 当時の彼女のお母さんの一言のアドバイスで、今の仕事をしています。亡くなられたと伺いました。いつかは墓前に感謝の気持ちを伝えたい。 |
感謝: | 小山先生、心がぐちゃぐちゃになって泣いた私をおんぶして、あそこが貴女の居場所だよって言ってくれましたね。恥ずかしかったけど、今でも忘れられない大切な思い出です。本当にありがとうございました。 |
感謝: | こたつねこ、あの頃はTEL ありがとう、楽しかった思い出です✨ |
感謝: | 飯田有紀 あの時親友になってくれてありがとう(^人^)お陰で今楽しく過ごしてます。KY |
感謝: | 丸山雪子先生(英語)、大好きです❤ありがとうございました。 |
感謝: | 高校生活楽しかったo(⁎˃ᴗ˂⁎)o⁺みんな ありがとう |
感謝: | 金剛登山 |
感謝: | 卒業してからも毎年年賀状をくれたり時々ラインやメールでやりとりしている友達がいます。3年間いちども同じクラスにはならなかったけど、なゼか1年の1学期から仲良くしてくれている友達がいます。その人たちに感謝してます~ |
感謝: | 2020東京オリンピック控え、晴海近辺も近代化?悲しい思いも?まぁ~未来は、明るいかな! |
感謝: | 13期同期諸兄とお世話になった先生方へ。同期会も無い様でしたので気になってました。私と実弟2人合わせて両方ともエンタメ世界TOPを獲りました。同期の思い出、先生の教え。特に三年男子クラスの高橋先生。文転し受験戦争を生き残り青学大入学し奮起し卒業し世間の厳しさ体験し社会人になりエンタメ世界で更に鍛えられ世界を獲り、今は日本中枢で世界相手に戦っています。それも楽しくも告白出来無い情けない自分を見直し正直に努力した結果だと思っています。未だ未だ未熟者ですが、先生の授業一限目に最前列で早弁した事、お詫びがてら見逃してくれた懐を見習っています。私も今は管理職や役員になっていますが過去を振り返り後輩若者に昭和最後の13期卒として気合いを入れ後輩育成に励んでおります。一つ残念なのは結婚しましたが、仕事し過ぎて帰宅出来ず嫁さんに逃げられ離婚し独り身で51になりました |
卒業式: | いまどいますか |
校庭: | どういう訳か、ワカメが生えてた思い出。 |
怪談: | 芸術棟の図書室の隣の大きな教室にある女子トイレは使用禁止になっているそうです。男子トイレは使えます。以前、女子トイレで吹奏楽部の生徒が首を吊った為使用禁止になっているようです。この話は吹奏楽部の間では有名な話らしく部活のメンバーは全員知っているそうです。ただ、ネットで調べても情報が出てきません。もし詳しく知っている方がいらっしゃいましたら教えて下さると嬉しいです。 |
下駄箱: | ある日、ボロボロで、一回も洗って無い上履きが、綺麗に真っ白な状態で、入っていた、、、しかし、履いてみると、乾いてなくて、悪戯かな、、、?それとも、、数ヶ月後、初めての彼女ができた |
屋上: | 屋上は体育館が最上階だからない、になるんじゃないかな? |
体育館: | 45年の卒業生です。体育館についての思い出?は、創立○周年記念の式典で、講堂しかない窮状、体育館の新設を熱望したことを記憶しています。 |
校庭: | 開校当時、運動場に、自動車の、運転コースが有った。 |
恋: | ビーバップに出てくる学校のモデルは福岡県の学校だよ。適当な事言ってんなよ。 |
体育館: | 雪が吹き込んで床がスケートリンクみたいだった |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |