例)大人になった今、あの時先生が叱ってくれた意味がわかりました。 ありがとうございます! |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白感謝: | 中川留美子先生、いつも私たちの見方でいてくれてありがとうございました。いいおもいでになりました。 |
感謝: | 想い出ありがとう |
感謝: | 古川せい子さんと出会えて楽しい高校生活が送れました |
感謝: | 幕張西高校の3年7組で同じクラスだった人達と再会したいです。卒業してから全く会っていない人が多いけど、みんな元気でいるのかな? コロナが収束したら、同窓会でもやりたいです。 |
感謝: | 同窓生や3年3組のみなさんに感謝します。長い人生の短い期間でしたが、一緒に過ごした時をわすれません。みなさんにおかれては色々な色のある人生を送られていることでしょう。卒業以来、疎遠にしています。この年になると無性に会いたい。会って空白の期間を埋めるような話がしたいです。今は一緒に過ごした時に感謝しかありません。 |
感謝: | 修学旅行 |
感謝: | こたつねこ、あの頃はTEL ありがとう、楽しかった思い出です✨ |
感謝: | 懐かしいです。僕が2年生の秋頃、まだ土曜日が半日学校が当たり前の時代。秋晴れの静かな土曜日の午後、部活で帰る生徒達がチラチラと。大好きなとき。僕の大好きな記憶。そしていやがらず、何気に僕の方からも求めていた・・・校長先生との接吻と手で出されてそのまま眠りについた、中庭校庭の芝生。校長先生はいいました、男同士でも結婚出来る未来がやってくるよと。あれからもう僕も立派な中年。もう時効ではないでしょうか、ねぇ工藤先生。 |
感謝: | 小山先生、心がぐちゃぐちゃになって泣いた私をおんぶして、あそこが貴女の居場所だよって言ってくれましたね。恥ずかしかったけど、今でも忘れられない大切な思い出です。本当にありがとうございました。 |
感謝: | 昭和33年遅生まれです。1年3組、2年3組、3年4組でした。今ご健在かどうか、分かりませんが、1年、2年の時の担任で、地学を教わりました渡辺(康)先生、3年の時の担任で、日本史を教わりました、渡辺(邦)先生、またその他の先生方及び、同級生の皆様、色々ご迷惑をおかけしました。すみません。ありがとうございます。また再会できましたら嬉しいです。 |
職員室: | クーラーが聞いてた でかいコピー機があった |
卒業式: | 泣いた、泣いた、いっぱい泣いた。友とのさよならが辛くて泣いた。 |
プール: | 女子の人数も少ない為、当日、女の子の日で参加出来なく見学者が多数出たりした。先生は、見学者に本当に女の子の日なのか?疑う様な発言があり、酷いとおもった、自分は嫌々泳いだけど、青臭い水のせいで、プールから上がった後は体がぬるついて臭くて困った。 |
怪談: | 本館三回の男子トイレでは度々黒いビニールのような質感を持った大人ほどの背丈をしたモノが目撃されていた。私も一度目撃したが、その日のうちに体調を崩した。今現在も見られるのかは知らないが、今でも謎である。 |
教室: | 冬はだるまストーブが暖かかった。石炭使い放題だったから体育の時間はストーブが真っ赤っかになるほど石炭を放り込んで授業に出てました。いない間に消えると寒いもんね。 |
屋上: | 他の高校ではよく屋上に好きな女の子を呼び出して話をしたなんてこと聞く。しかし我校の建物は屋上には出られなかった。飛び降りる学生が出ることを恐れたのであろう。当時どこから屋上に出られるかも知らなかった。 |
プール: | 女子のプールの時間のあるある 着替え中に可愛い下着自慢笑 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
教室: | 可愛い人が多くて |
校庭: | 野球部にいた時の思い出 |