愛知県立古知野高等学校の教室

懐かしい愛知県立古知野高等学校の記憶を共有するページです。

愛知県立古知野高等学校の教室

愛知県立古知野高等学校の教室での楽しかったりがんばった想い出を書き込んでください。懐かしい想い出をぜび皆さんと共有してください。例えば教室にあった不思議なものや風景など教えてください。

愛知県立古知野高等学校
教室の思い出

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例)教室の窓からスカイツリーが見えました。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の教室での記憶

教室での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 教室での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
教室3年生の時、当事担任の先生に「人生は死ぬまで勉強、使わないと脳のシナプスが減っていく」と仰っていました。聞き流していましたが今はやっとその意味が分かりそうです。自分の教訓です。
教室書道教室だった
教室3年間1クラス女子ばかり10人・・・・・
教室廊下側の席だったから冬は、寒かった。
教室木の机!木の椅子!汲み取り便所!木造校舎でした!
教室窓ガラス割った人もいた。なんで割ったんだろう?喧嘩だったのかな?
教室校門までの坂がキツめ。学食で売ってるコロッケを休み時間に食べたら美味しい。自販機近くに空き缶回収ボックスがあったが、皆が無理な使い方をする為よく壊れていた。
教室初キス
教室男子校なのに電気科に女子が2名おりました。長い廊下の途中に職員質があって、その先に被服科女子生徒の教室が2教室ありました。男子は職員室の前(関所)を通らないといけない校舎でした。なんで詳しいのかって?、それは生徒会の副会長をしていたからざんす。2年生の時は採鉱科と金属化学科の実習室がある校舎の外れの教室で勉強しました。冬寒かったです。いい思い出です。
教室後ろ向きで、授業受けてた

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
教室教室奥の窓側に設置された「鈍色に燻んだ熱湯循環型ストーブ」と手が接触して、「おあっちぃい⁈」となった記憶。
音楽室グランドピアノが置かれてる部屋がありました。ここでピアノの音色に包まれる時間が好きでした♪
トイレ花の香りがした
プール昭和50年台後半。プールの授業では三種目でそれぞれ25メートル泳がなければいけなかったのを覚えています。私はクロールの息継ぎができないので息継ぎなしで25メートル泳ぎました。また、飛び込みも必修でできない生徒は夕方までプールサイドで先生から叱咤激励を受け頑張ってました(^-^)
卒業式情報処理で1年留年したけど良く卒業出来たと思う。今では開発者で仕事しています。
教室木造二階建てがA棟とB棟、コンクリート3階建てのC棟木造校舎はとにかくホコリっぽくて嫌だったっけ
3年生の時の自習時間。下駄箱隣の放送部が使っていた部屋で告白。人生で最大の出来。もし生まれ変われたら、また告白し、彼女を奥さんにしたい
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!
教室美術室に大量の石膏像があって、夜見ると動いてるように見えた。大翔館高校に受け継がれてるのだろうか。
体育館卓球台をだして卓球をしたのだけが唯一の体育の授業の楽しかった思い出。


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