広島県立庄原実業高等学校の教室

懐かしい広島県立庄原実業高等学校の記憶を共有するページです。

広島県立庄原実業高等学校の教室

広島県立庄原実業高等学校の教室での楽しかったりがんばった想い出を書き込んでください。懐かしい想い出をぜび皆さんと共有してください。例えば教室にあった不思議なものや風景など教えてください。

広島県立庄原実業高等学校
教室の思い出

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例)教室の窓からスカイツリーが見えました。










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その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の教室での記憶

教室での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 教室での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
教室大きな火鉢でした
教室僕らの世代は、今みたいに文系と理系にクラスが分かれることがなかったので、2年から3年に上がる時はクラス替えがありませんでした。3年に進級しても、教室で回りにいる人は全く同じでした。
教室なぜ3年生だけクーラー付きの教室があったのかな?
教室1年生だけ校舎が違ったと思うんだけど、違った?
教室あの頃はヤンキーが多く、男子、女子問わず、ヤンキーまみれ
教室
教室商業実務の授業では、いつも現金が合わなく現金過不足勘定に計上していました。
教室先輩方に申し訳ないですが、かなりやんちゃが過ぎて、上履きがスリッパになってました。廊下を走れないようにする処置らしいです。
教室教室の窓から慈恵医大に通っていた元巨人の山倉選手をよく見かけました
教室本日2020年3月2日で、閉校式から17年経ちました。このコメントを打っている時でも、学校を出って17年経ちました。自分は、西金沢駅から宇野気駅まで通学していました。

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
トイレトイレは和式ですか?
文化祭踊ることが嫌いな私は誘っていただいてもフォークダンスでは壁土でした。
伝説所さんのダーツな旅の撮影でスタッフさんが来た
プールunnkositayo.
トイレトイレットペーパでミイラ男
人生で初めての告白は見事にフラれました。あの告白を思い出したら恥ずかしいです。
体育館体育教官室の冷蔵庫にはビールがあるという噂があった……(^_^;)
カナちゃん(彼女は髪を短く切るのが好き) 高校1年生 2001年
保健室初カキコ…ども… 俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは 今日のクラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか ま、それが普通ですわな かたや俺は電子の砂漠で死体を見て、呟くんすわ it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。 好きな音楽 eminem 尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO) なんつってる間に4時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!


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