例)学園祭でやったライブが忘れられません。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白文化祭: | あ 俺監督なんだが脚本は違う人なんでよろ |
文化祭: | 終わった後にバザーがあるんだよねー値札付けによく行ってたわ |
文化祭: | 学芸会。4年生(1983/昭和58年)の時、俺はアリの役だったw。 |
文化祭: | 行った事がないので内容を知りません |
文化祭: | こどもまつり、楽しかったです |
文化祭: | 遥か昔、何の劇かは忘れてしまいましたが、自分の出番中の出来事です。ぐるぐると円を描く様に回っていると自分の足裏に画鋲が突き刺さり一生忘れ慣れない思い出になりました。途中で抜けるわけにもいかず出番の最後まで頑張りましたww出番終了後に抜きかなり痛かったです。その時は転向してきたばかりで余り友達もいなく周りに何も言えず悲しかったですねwwwこれが約30年くらい前の小学4年の時の楽しい思い出です笑 |
文化祭: | 4年生くらいまで6月に行われていたので、大雨でとても大変でした。びしょ濡れになったwww |
文化祭: | なかったです |
文化祭: | なんだろー |
文化祭: | 運動会での7人抜きしてころんでゴールしたあいつです!w |
飼育小屋: | うさぎのゆきちゃん |
教室: | 一年生のときの掃除の時間に天井から何かが落ちてきたのを覚えています。その時先生は、ちょうど真下にいた生徒をかばってくれました。でも、先生は足に怪我をしていました。先生は「こんな傷たいしたことはないかすり傷だから大丈夫」といっていました。その当時一年生だった僕はよく覚えていないのですが、教室にいた皆が先生の事を心配していたと思います。でも、先生は次の日新聞を見ながら新聞にかかれていた記事を見ておおげさだ と笑っていました。もし先生がいなければ真下にいた生徒は、助からなかったと思います。なので先生には感謝しています。 これは本当に起きたことで僕は小学校生活で一番の衝撃的な出来事でした。多分他の教室にいた皆は忘れていると思いますが。ちなみに僕は今中学一年生です。この出来事は大人になっても忘れないと思います。最後に、天井から石みたいな何かが落ちてくるのは、本当に怖いです! |
図書室: | 勝手に本が動く |
図書室: | 図書室の場所は、校舎北東の2階であったか。 |
理科室: | 理科室の机によくアルファベットが書いてあった 好きな人を書いてる人がいた |
恋: | 3年生から付き合いだした2人 それから4年… 今だにラブラブ |
保健室: | インフルエンザの注射を希望者のみですが、保健室でやりました。 今ではあり得ませんが注射は、一本で三人打ちました。 |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
プール: | シャワーが冷たすぎた! みんなシャワー浴びながら騒いでた |
恋: | いるね! |