例)苦労して作ったクレープの模擬店が大好評で楽しかったです。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白文化祭: | 高3の時、急接近してきた女子がいたなぁ、、、 |
文化祭: | 前日にこれは出せないと言われ、騒動。 |
文化祭: | 北高祭の時だけ、北高うどんの麺が「うどん」やった。 |
文化祭: | 初めてのキャンプファイヤーの木は秩線から古い枕木を譲ってもらって実施した |
文化祭: | 私の兄は生きていれば52歳ですが |
文化祭: | 招待券なければ生徒以外は入れなかった。 |
文化祭: | 電気科の催し物で、電気列車の模型を走らせたり、UFOを浮かしたりしてた。 |
文化祭: | 12期 |
文化祭: | みづのきマジック |
文化祭: | 鵬南祭、文化の部と体育の部がありました。 |
入学式: | 入学式で担任の先生に名前を呼ばれたときは『はい』と返事をする。 |
運動会: | グラウンドまで遠かったなぁ。マラソン大会は10㎞長過ぎだょ |
職員室: | 夏休み中、クラブ活動をサボった5~6人が職員室に呼ばれ横1列並んで頬を叩かれた。今時なら問題か?50年前は当たり前、だってサボった方が悪かったので。 |
文化祭: | 懐かしいけやき祭! 当時、朝高の定時制に通ってました。仕事は、自身の経営するPA屋でした。当時は、朝霞西高とか、早稲田大学、中央大学等、幅広くの学園祭に音響担当で呼ばれてました。その中でも、朝霞高校のけやき祭は、3年間受持しましたが、どれも懐かしく今でも鮮明に記憶に残っています。中でも、飛びっきりだったのは、高校の学園祭では例のない、電源車まで投入して音響も照明も設備した事ですかね?体育館にミラーボール付て回しちゃいましたから!笑 今は、どうかわかりませんが?当時の文化祭実行員は、全日制と定時制は、合同で話し合いをやってましたし、後夜祭では、全日制と定時制の合同バンドで、ステージで盛り上がったものです。私自身も含めて、きっと、今も思い出に残る高校時代の思い出として記憶されていると思います。皆んなに出会えて、本当に良かった。 |
校庭: | 盛り土になっていて狭かったのかなあ |
校庭: | おホームレスの方が校庭に掛かる小橋の下に青き敷布と段ボールで組み立てし住処を建立されてて、火事に見舞われた事もあった思い出。先生が消火活動されてて授業どころでなくなった記憶。 |
教室: | どれくらいの期間だったか忘れたが、校舎頑丈にするためとエアコンを取り付けるために、プレハブ校舎に一時期移り授業していた。 |
トイレ: | 花の香りがした |
下駄箱: | 大好きな彼女とクラスが違っていたので、交換日記を下駄箱に入れて渡していた。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |