例)体育の授業では良くドッジボールをやりました。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白校庭: | 校庭の角にある高い木。この前小学校に行ったらまだ元気に生きていた。木登りやったな〜 |
校庭: | アスレチックがたくさんありました |
校庭: | 運動会で徒競走やり取り綱引き、玉入れをしたのが一番の思い出です。 |
校庭: | 雨が降っても水はけが良かったから運動会は必ず外でできた。広い校庭とシンバルの銀杏の木懐かしい。大きい銀杏の木が台風で倒れた時は悲しかったけれど、卒業式に銀杏の苗木を頂き、家の庭でいまだに成長してる。 |
校庭: | 円形校舎の横に給品部があり紙せっけんばかり 買っていたような。(笑) |
校庭: | 特に一番していた遊びはサッカーです。休み時間もする。放課後もする。集まってからもずっと日が暮れるまでサッカーしてました(笑) クラスにいるひとりぼっちだったあの子も誘って一緒に遊んだなあ。 そんな行動を自然とできてた。終わった後も皆んなでたくさん笑ってた。人の良いところを見てくれている優しい奴らだった。 そんな皆んなも今同じように笑えていますか?そんな風に笑って過ごしていますか?あの当たり前のようにあった暖かい日々は「胸を張って生きていく」ってことを示してくれているんだと今ならわかります。 皆んな。どんな人生だろうが関係ないよ。いくつになってもそんな皆んなが大好きでたまらない。皆んなもきっとそんな人を好きなんだと思う。オレは「胸を張ること」を忘れずに生きていくよ。 |
校庭: | 昭和22年4月~26年3月 |
校庭: | 校庭の西側にバスケットコートがあり、そこでバスケに興じていた時、先生に呼ばれ「おばあちゃんが亡くなったそうだから家に帰るように」と告げられ、すぐ家に帰りました。帰宅後すぐに電車を乗り継ぎ東京駅まで行き、新幹線で母の実家へ行ったのを今でも覚えいます。 |
校庭: | 校庭が水浸し |
校庭: | 神田先生とソフトボールの練習をよくしました。その当時は練習中の水分補給は禁止だった。練習後の水道の水の美味しかったこと |
怪談: | 音楽室の偉人の写真(?)は目を逸らしてもキメ顔orドヤ顔で目を合わせてくる笑笑ってゆー思い出。(6年の時) |
運動会: | リトミックなるリズム体操が鬼難しい記憶ガガガ。7~8種の動きを両手で、次に左右の腕で1拍っつずらして披露する |
保健室: | 保健の先生は、凄く優しかった! |
トイレ: | 講堂のうらのトイレは幽霊が出ると言われていた |
校庭: | 体育で転んだ時が今でも忘れられない |
卒業式: | 私は今中3で最近小学校の卒業式で歌った歌を思いだし中学校で同じ学校で今も同じクラスの同級生と口ずさんでいました。歌詞は割と覚えていたので最初から最後まで歌いたくなり自分が高音か低音どっち歌っていたか気になったし卒業の頃の自分たちは今と変っているのだろうか。あの頃の自分たちはどんな感じだったのだろうか。気になり最近卒業式の日のビデオを見てみました。今見るとみんな声も変わりびっくりするほどみんな成長していました。その時小学6のころは小1の頃とすごい成長したと思っていたけど今日そのビデオを見たときは小学6の私たちはまだこんなに幼かったんだなと思いました。多分そう思ったのは今の自分たちが卒業した後からすごく成長したからなのかなと思いました。今中学校が回りの小学と合併したことにより人間関係が深くなりなつた小のあの平和な感じが消えててゆきなつた小の頃の話題になるとあの頃が懐かしい。戻りたい。などと言っている同級生が私以外にもたくさんいました。(同じクラス内で)それほど平和だったんだな。と思いました。合併しての利点は新しい友達が出来たことです。なつた小メンバーだけでもよかったなと思うときもあるけど合併してよかったのかなともおもいます。今もなつた小での思い出は忘れてなく小学校の頃の話が話題となり会話が弾み楽しく学校生活を送れています。 |
プール: | 屋上にあったよね?? |
プール: | 昭和39年 まだプールはなく水泳の授業は市民プールでした。その年か翌年、プールが完成、プール開きの際 校長先生が立ち泳ぎで色紙に字を書いておられたのを覚えています |
告白: | あ |
給食: | 食パンが苦手でした。給食当番の時給食室まで随分と長い道のりをたくさんの渡り廊下を渡って運んだのを覚えています。 |