例)運動会ではこの学校恒例の阿波踊りをやっていました。今でもあるのかな? |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白校庭: | 球技大会の時、寒い日にコートを羽織ってると怒られてました。 |
校庭: | 中庭が時計のある花園 |
校庭: | 生徒会主催で、昼休みに中庭でフォークダンスをしました。 |
校庭: | 一年だけですが、野球部に入ってました。 |
校庭: | グランドで通学用の靴でチョット遊んだだけで体育科の教師に教官室でヤキはいりました! 後で他の生徒に聞いた話ですがジャイアンツが負けて機嫌が悪かったらしい。タイミング悪く八つ当たりされたようです! |
校庭: | 比較的大きめだったような。ラグビー部が頑張ってた記憶が強いですね。 |
校庭: | ときどき族が校庭にバイクで乗り付けて走り回っていました。 |
校庭: | 陸上部とサッカー部に入って、よく走った。 足遅いけど、楽しかった。 |
校庭: | 体育祭なかったんだけど……なんで?、 |
校庭: | 体育祭を山本晋也監督が取材?に来た。 |
教室: | 生徒手帳の話を1つ。中学生、高校生になると学校から生徒手帳が配られる。中学校のごろは制服に名札をつけていた(名札があった)ため、生徒手帳に写真はついていなかった(はず)。しかし高校生になると制服(札幌西高校などの制服がない私服の高校を除く)に名札がないため、生徒手帳に写真がついてくる。高校1年生(1998年・平成10年)までは生徒手帳の裏表紙を開き、見開きで左にクラス名、氏名、生年月日、住所、クラス担任名、クラス担任の電話番号(順不同)を書き、右にシールで生徒の氏名、クラス名、生年月日、学校名、学校の住所(受験番号かなにか?)が書いてあった。高校2年生(1999年・平成11年)になり、左側は前年度(1998年・平成10年)と同じだが、右側にラミネートフィルムで表と裏にはさむところがあり、そこにテレホンカードぐらいの大きさと厚さと硬さの身分証明のカードになり、そこに前年度の右側と同じ内容が書いてあった。有効期限は私たちの場合(2001年3月31日)とあり、これは期限が切れたらどうするのか?と聞いたら返却せず、返さなくていいとのこと。私は高校1年生のころ、自分で生徒手帳の左側に氏名などを書き込んでしまい、あとで同じクラスだった男子生徒に同じところを見せてもらうと、しっかり担任名のところに判が押してあった。失敗した、と思った。違うクラスの男子生徒に同じところを見せてもらうと、やはり同じところに担任名の判が押してあった。2年生になると、担任名のところだけ(別の担任の先生)判が押してあった。しかし、3年生(2000年・平成12年)になると、担任名のところもなにも判は押していなかった。その先生は高校3年生の11月に引っ越したから、電話番号も変わり、私たちは二重線で線を引いて電話番号を書き直した。ちなみに、生徒手帳はシール張りつけ、テレホンカードサイズの身分証明いずれも転学・退学の場合は返還しなくてはならない。 |
卒業式: | 学校で卒業式やらなくて、板橋の会館を借りてやったような記憶があるのですが。 |
卒業式: | 私は、昭和62年度卒業生ですが、今後、かおり友の会の同窓会の通知を、私の方へ、郵送しないよう、宜しくお願い致します。先述の通り、かおり友の会の皆様、さようなら。 |
プール: | 水を循環させる機械がなくて塩素を大量に入れていた。 |
告白: | 結婚して別性になったけど好きでした。つのむらいずみさん |
プール: | 学校指定の海パンが学年色でしかも透け透けのブーメランパンツ。 |
恋: | 中沢は、かの有名なビー・バップハイスクールの愛徳高校のモデルになった学校ですよ‼️ |
感謝: | ラグビー部顧問の先生に感謝 |
下駄箱: | 親父のスカイラインターボで、ドリフトして校内に、調子こいて、玄関と下駄箱に突っ込んだんだけどね!笑 |
教室: | むか~しむかし、昭和の時代。この学校(旧校舎)に「きだ~ら」という国語の教師がいました。ある日の授業で「きだ~ら」は、生徒全員に小さな紙を渡し、「これから、皆の書いた句をつないで俳句(川柳)を作ります。」とその句が書かれた小さな紙を回収し、それらの句を「五七五」になるように組み合わせ黒板に書き出しました。そうして黒板に書かれた俳句(川柳)を見た生徒たちは笑いました。その光景を見ていた「きだ~ら」も、と~っても満足げでした。しかし、一人だけ不満げな生徒がいました。黒板に書かれた俳句(川柳)には全てに彼の名前が入っていたからです。彼の名前を悪ふざけで書いた生徒が数人いて、それと他の句(差別的な用語や卑猥な用語)を組み合わせて「きだ~ら」は俳句(川柳)という名の「悪意」を黒板に書き出し、彼をクラス全員の「晒し者」にしたのです。授業中に黒板に自分の「侮辱」を10通り以上書かれて気分の良い人間などいるでしょうか?しかも、彼は「きだ~ら」に恨まれるような事は何一つしておらず、ただ単に「きだ~ら」の「受け狙い」だったのです。もしも、今の時代にそんな事を教師がして、生徒が「不登校」になったり、「自殺(未遂)」したなら連日報道され、そんな教師は「処分」されるでしょう。しかし、「きだ~ら」はそうはならず、噂では「学校長」にまでなったそうです。今は、何もなければ「定年」を迎えているやもしれません。そんな人間に「学校長」の「辞令」を交付し、高い給料(税金)で雇用し、定年退職ともなれば高い退職金(これも税金)を渡す「北海道教育委員会」は何を考えているのでしょう?一方、「侮辱」を受けた生徒はその後どうなったのでしょうか?彼は |