例)夜になると校庭にお化けが出るといううわさがありました。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白校庭: | その1:今でもそうかは分からないが、とても細長い校庭だった。高校一年の頃、とても評判の良い教頭先生がお亡くなりになり、学校葬が行われた。先生の棺が校庭を斜めに進んでいくと、校歌が静かに流された。その時とても厳かな気分になったが、その時の校歌と校庭のことふと思い出す。その2;オリンピックに出場した体操の田中敬子さんが都留高校の先輩の池田選手と結婚して間のないころと思うが、この校庭で模範演技をしてくれたこと思い出す。スター選手を実際に見たのはそれが初めてだった。その3;体育授業の時トレパンを忘れ、普通のズボンで出たが、すぐ土に座れなんて言われた。その後の授業の時、土まみれのズボンを女子に見られたことがとても恥ずかしかったこと思い出す。 |
校庭: | 硬式テニス同好会を作りました。最初は軟式テニス部と同じコートで練習しました。2年になって園芸科が小山園芸高校として独立して、校庭が拡張されて専用のコートができました。 |
校庭: | 文化祭での、キャンプファイア |
校庭: | 体育祭なかったんだけど……なんで?、 |
校庭: | 学校通り向かいは、当時牛が飼育されていたね。 |
校庭: | それ、ありましたよ。 |
校庭: | 雨が降ると、水はけが悪かった。 |
校庭: | 蛇がいたので振り回してやった。 |
校庭: | ほとんど人工芝だったため遊びやすかった |
校庭: | 放課後の校庭は野球部とラグビー部が練習していました。私の時代にはサッカーはマイナースポーツでサッカー部はありませんでした。 |
教室: | 生物室にも顕微鏡が人数分あり、両目で覗きながら観察した細胞の絵を描く、黒板にフリーハンドで正円を描く、とにかく有機化学は実験主体、無機化学は自分は天才か、と思うくらい亀の図書けるようになり、計算も出来ました。ひとえに吉田先生のおかげでした。 |
謝罪: | 入学して、すぐ辞めたんですが、僕の事覚えてる人いるかな? |
屋上: | 屋上に、プールも、図書館もありません、なんにしろ『パンツ1』で走り回ってましたから、ゲラゲラ。 |
体育館: | 文化祭の非公開日 とても楽しかったです 私自身、ステージでダンスを させてもらって ステージからの風景は 有名人のライブのようでした! あの頃にもどりたいですね |
恋: | 外間望美さん好きでした。 |
運動会: | 体育祭前に草取りがあったのを覚えてます、 |
トイレ: | 2個上の先輩がトイレで性行為をしてた。 |
恋: | 麻実ちゃんには幸せになってもらいたいんだ!誤解されがちだけどいい子だからね。 |
体育館: | かくれんぼができて楽しかったです、特にバレーボールの時間が好きでした。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |