例)放送装置がおいてある。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白職員室: | 一年生の頃はいる練習したっけ |
職員室: | 学校あるあるかもしれないけど先生方が飲んでいるコーヒーの香りが漂ってた。 |
職員室: | よく立たされました・・・。姉が職員室に用事に行くと私がいて恥ずかしかったと後日談。 |
職員室: | そゆうのはいりません。」 |
職員室: | その学校では、教員が盗撮で免職になったという。保護者に謝罪の説明会をおこなったが、マスコミもきたし、それはそれは修羅場だったという。 その翌年、こんな事件があった。 ヨシダ教諭(仮名)という50代の男性教諭が、サトウ教諭(仮名)という20代の女性の体に誘ったり、執拗に食事に誘ったりして、サトウ教諭は困り果てていたという。それを見かねた周りの教諭が、迷ったあげく、女性のタナカ校長(仮名)に相談した。 タナカ校長はなんといったかというと、「そういう噂を広めるのは、ヨシダ教諭の人権を侵害するので、今後二度と話題にあげないように」と言ったそうだ。そして、この事件はないものになった。 盗撮事件のあとに不祥事を出すのはまずいと思ったのかもしれない。でも、いくらなんでもあんまりだな、と教えてくれた友人教諭と話したのが、いじめだけでなく、横浜市の隠ぺい体質というか残念さをよく表している事例だと思ったしだいである。 |
職員室: | 1年2年の担任箱田玲子。給食を残すと怒る怖い先生。生涯独身だから子供の気持ち分からない。 |
職員室: | 常にコーヒーの香りが漂い、そして結構狭かった。 掃除の時しか中に入る事はない。 よく台所に置いてあったお菓子をつまみまくっていた。 |
職員室: | 職員室に入る前の言葉めんどくさいデス笑 共感してくれる人居ないですか? |
職員室: | 冬になると職員室の前に弁当を温める木製の箱(名前は忘れた。各学年一クラスだから6段か7段の引き出しの箱。最下部で炭を焚きその熱で上部まで温めた。昭和三十年代の話)給食が始まる前は各自弁当を持参。新聞紙で包むことが朝の楽しみだった。朝出した弁当が暖められて、休み時間に職員室の前を通るといい香りがした。 |
職員室: | 先生の机の中に 腐ったみかんが入っていた それはずーとあったので 何故片付けないんだろうと思って 片付けてあげた その先生は眼鏡をかけていて 脚がちょっと短く こんな事書いていいか悩むけど お休みしてる事があって 心配になったので 他の先生に聞くと 失恋だと聞いて 家まで 皆で4人くらいで 先生の家に訪ねて行ったら 凄くビックリしてたけど 何しに来たんだ?! と聞かれたので 正直に話すと 先生が喜んでいました。 |
体育館: | 漏電による火事騒ぎにより全校生徒が校庭に避難 |
図書室: | 図書室の中に秘密の通路がありました。 |
トイレ: | 山崎唯を警察に逮捕してほしいです |
校庭: | 3、4年生位のときに、校庭改修してたよね? |
体育館: | 劇をした。卒業式には、全員参加。小3くらいの時に新しくなった気がする。シャワー室とかもできてたっけ、、、 |
校庭: | 広すぎ内科!? |
伝説: | いい思い出も悪い思い出もあんまりないよね(´▽`) '` |
プール: | 冬のプール |
職員室: | 職員室の先生一人一人にあだ名ついてる笑 |
トイレ: | 40年生まれです。 当時は便器の穴が大きくて、上履きやハンカチなどの落ちた物が、前のトイレの分まではっきり見える汲み取り式で、男女共同のトイレでした。 学年は記憶違いかもしれないけど、3年生くらいの時の出来事だったと思います。 グラウンドからも入れるトイレだったと思うんだけど、便槽の中に小さい足が見えるって、休み時間にちょっとした騒ぎになった事がありました。 私は見てませんが、当時見た人に聞いた話しだと、個室が狭いので、そこに居た数人が一人づつ順番に見てたら騒ぎになり、先生が来て帰されたそうです。 その後噂は広がり、私のクラスでは、教室に生徒が全員居る時に、担任からはマネキンの足だという説明があったのですが、その後そのトイレは工事中となり使えなくなりました。また、見た人のクラスでは、たまたま学芸会の劇で使う為に生徒が作った足だ、という説明があったそうです。 ちなみに足を使う劇は本当にあったらしいです。 工事が何日間だったかは憶えてませんが、使えるようになっても壊れた鍵すら直ってなくて、どこをどう工事したのか、全く痕跡がなかったので、とても不思議だった記憶があります。 私は詳しいイメージも聞いてますが、さすがにここに書くのは遠慮したいと思います。 本当の事はわかりませんが、昔は悲しい出来事が少なからずあったのも事実ですよね。 百年のあゆみ という本を探していて、ここに辿り着き、長い間心に残っていた事を、つい書き込んでしまいました。 いい話じゃなくてごめんなさい。 |