例)「失礼しまーす」と言わなければ入らせてもらえなかった。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白職員室: | 清水康男せんせいのそのご |
職員室: | 凄く昔は職員室の横にタバコの販売機が置いてあったよ! 現国の先生が松前出身で何を話しているかがわからなかった! 職員室に呼ばれても、思い込みで決めつけていたチョロと言うメガネのアホな先生がいたな! |
職員室: | 全学年共通の職員室で、席がぎゅうぎゅう詰めだった記憶がある。生徒は先生の許可が下りない限り入室禁止だったため、出入口付近でやり取りを済ませることが多い。 |
職員室: | 放課後、よく1階の科務室に行き先生達は親切に仲良く話をしてくれました。いい先生達でした。仕事の疲れも談笑することでなくなりました。特に冬、談笑することで寒くても帰路、心は温かった。 |
職員室: | 夏休み中、クラブ活動をサボった5~6人が職員室に呼ばれ横1列並んで頬を叩かれた。今時なら問題か?50年前は当たり前、だってサボった方が悪かったので。 |
職員室: | 遠藤先生の動詞テスト |
職員室: | 私の父(平成29年に96才で死亡)が1945年12月~1948年3月まで 英語教師として赴任、と同時に久慈高女でも 教えていたのが25才~28才の 時でした。当時は 住居は 当直室だったようで そこで生まれたのが 私(現在72才)でした。父は 当時 大学卒業と同時の 最初の教師時代で かなり 思い出深い 経験だったと いう話を 聞きました。 |
職員室: | 3階にある |
職員室: | ひげ392先生元気ですか アンパンマンはゴルゴねたです 地理の先生トライアスロン狂、 さる吉先生は微分積分いい気分 1992_3D_KT 当時の先生は現役ですか。 |
職員室: | 冬は職員室に行くの好きだった。暖房がきいて暖かかたったから |
下駄箱: | 1人ずつロッカーあったんですが、教科書辞典入れになっていましたね。夜間高校もあったので教室には置けなくて。 |
トイレ: | 音楽室のそばのトイレに1人で行き左奥のトイレに入るとノックされる。実際私は入りノックされた。友達に話したらあそこ出るよって言われました。それからは一度も入りませんでした。 |
職員室: | 国語の答案用紙で間違ってた為に行った。 |
文化祭: | 校内のあちこちで、色々な催し物が行われていた。その中でも校庭の中に茶室を設けて、茶会が行われた。天幕を開けて覗き込むと、彼女がお茶を飲んでいた。ただ「ぼーつ」と見つめていた。こんなことの繰り返しだった、あの頃。思い出しては懐かしい。 |
校庭: | おホームレスの方が校庭に掛かる小橋の下に青き敷布と段ボールで組み立てし住処を建立されてて、火事に見舞われた事もあった思い出。先生が消火活動されてて授業どころでなくなった記憶。 |
伝説: | 体育教師のうつみ(ハゲ)がうざかった |
職員室: | 毎週のレポート提出で緊張してました。規律が整っているのかどの机もキレイでしたね。 |
体育館: | 体育館の隣りで、家畜の飼育していたので、糞尿の匂いが凄かった。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
プール: | プールは屋上にあります。 |