ニューデリー日本人学校の職員室

懐かしいニューデリー日本人学校の記憶を共有するページです。

ニューデリー日本人学校の職員室

ニューデリー日本人学校の職員室での楽しかったりがんばった想い出を教えてください。懐かしい想い出をぜび皆さんと共有してください。例えば職員室にあった不思議なものや風景、先生に怒られたり、言われた今でも忘れられないことなど教えてください。
例)普段は行かない職員室。あなたはどんな時に行った?
  先生だけの場所。今思うとあまり子供に見せたくないと思われるものがありました?
  怪談話やうわさなどはありましたか?
  

ニューデリー日本人学校
職員室の思い出

※ユーザ名と削除パスワードは必須ではありません。

例)コピー機は職員室にだけにあった。










[注意]個人を特定できる投稿・誹謗中傷・その他不適切な書き込みは削除いたします。またそうした不愉快な書き込みを見つけた方は「問い合わせ」より知らせていただければ削除いたしますのでご協力よろしくお願いいたします。

その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の小学校の職員室での記憶

職員室での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 職員室での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
職員室職員室前の廊下の水槽 でかい金魚と亀 亀まだ元気かなあ
職員室私は1965年の5月ごろ、その春に入定分校に転勤された遠藤美智子先生を訪ねてバスに揺られて行ったことがあります。当時小学5年生。先生に会いたい一心でしたが、遠いところにきたなあと、そして先生は私たちを職員室など案内してくださいました。よく覚えていないのですが、緊張していたと思いますよ。時々、先生や入定分校や村ののどかな風景を思い出すことがありました
職員室池田稔先生に
職員室先生に呼ばれたとき
職員室校長室にカブトガニの標本がありました
職員室狭い印象がありました。校長以下男女各1名ずつの先生がおり、小使いさんも同室していたかも?
職員室職員室の前には池があり鯉がいたなぁ。
職員室あまかわじっちゃん先生 光永先生お世話になりました(^_^)
職員室チャンネル登録者数が26人になりました。動画も100回以上の再生動画が増えてとても嬉しいです。これからも頑張ります。応援よろしくお願いいたします。
職員室五つ星ボーンズはじめました。

小学校での他の場所の記憶

他の小学校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
体育館体育館なんて洒落た呼び方ではなく「講堂」だった。当時、多動で落ち着きがなく所謂「発達障害児」であった自分は担任の中年女性教師から当然の如く嫌われ、田舎特有のキツいいじめの渦中にあっても完全にスルーされていた。そんな中、初めての「学芸会」。クラスの出し物は「花さかじじい」のお芝居だったが、私は裏方すらやらせてもらえず、練習時も校庭に追い出されていた。発表当日、おそらく保護者なども観に来て賑やかな声を聴きつつ、講堂の裏手の百日紅の木にもたれてひたすら時間を潰した。母には学芸会の話はしなかったので、来る事は無かった。こっそりくすねた小道具の、金の折り紙の貼られた紙の小判をためすすがめつ眺めたりして、ただひたすら長い長い暇を潰した。もたれた埃っぽい壁の背中越しに、大勢の拍手と笑い声が響いていた。風が吹くと頭上からひらひらといくらでも舞い散ちて来る細かなフリルの小さな小さな桃色の花弁を、今も鮮明に覚えている。穏やかな日差しの、良く晴れた日だった。
音楽室フクロウの声10回!!ホーホーホー
屋上メチャクチャどうでもいい
ぼくは小学生2年で鎌倉に転校してしまい言えなかった!いまだに忘れない広瀬あかりちゃんが大好き
教室冬はつぎはぎの板張りに裸足でつめたかったなあ。でも教室で暴れまくっつあったまったものだ。
飼育小屋飼育小屋なんてない(#`皿´)
プールプール完成前に卒業したような気がします。卒業は1966年頃
卒業式修学旅行とか遠足のてーまが有れば良いけど無いのでここに修学旅行の時の話を。クラスにT君という知的障がいの子がいて、あまり会話は出来なかったけれど、それなりにクラスになじんでいた。特に音楽に乗りやすく、指揮者のようにタクトを振るしぐさをよくしていた。修学旅行の時は母親なのか、もしかして祖母なのかしれないけどおばさんが付き添いで同行していた。旅館で余興タイムになり何人かが出し物をし、間が開いたころ、誰かが次はAちゃん(T君の名前で、通常みんなからそう呼ばれていた)の番や、という声がかかった。するとみんながそれに同調し、担任の先生も同じことを言いだした。するといきなりおばさんが出てきて代わりにマジックをしますといい、箸袋の両端を先生と生徒に持たせ、それを箸で切ると言い何度か切る真似をしたのち、「これは切れません。切っても切れない師弟の間柄」という説明をしました。小学生とはいえ高学年だから当然意味は分かるけど、それほど面白い話でもない。また誰かが、今度はAちゃんと言うと、担任はたまらずもういいからと止め、おばさんにお詫びを言っていました。クラスではよくある光景だったけど保護者から見れば居たたまれないことだったんですね。何十年か経ってT君の家だった小学校すぐ近くのお店はなくなり、当時でも珍しかった畑も消えていました。
飼育小屋小さい感じ、理科室前にも有るけど、うさぎが死んで何もいない。裏側の大きな小屋はニワトリがいました。
教室1977年頃木造校舎が残ってた。いつ解体されたか覚えてない。


ページの先頭へ