例)常にコーヒーの匂いが漂っている。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白職員室: | 初カキコ…ども… 俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは 今日のクラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか ま、それが普通ですわな かたや俺は電子の砂漠で死体を見て、呟くんすわ it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。 好きな音楽 eminem 尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO) なんつってる間に4時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ |
職員室: | 吸い殻の量が取調室 |
職員室: | 三十数年前の職員室は、とにかくタバコ臭かった。 |
職員室: | 遠藤先生の動詞テスト |
職員室: | B棟2階。 |
職員室: | 職員室へ行きある先生に会うと必ず冷凍柿をくれた。 溶けるとぐじゅぐじゅでこれが美味しい。と先生は言うが好きではなかった。 |
職員室: | ある先生に用があり、職員室で待っていたところ、 「待たせたお詫び」 と飴を2~3個頂いたことがあった。 女性の先生だったが、後ろ姿が格好よく見えた。 |
職員室: | 1966年頃、石橋一元先生は、若禿のあだ名あり。授業のとき必ず「うんこ・きんたま」の話、「女が大嫌い、同じ給料なのに生理・出産で休める。妻は家でTV三昧で自分が汗水たらして働いた給料を全部取る」「どSプレイを妻に強要したら拒否され、罵られ実家に告げ口された」「教え子を愛したがふられ、我が身の肥満・禿を悲観し相手の男を攻撃した」と、今思うととんでもないセクハラ・パワハラの子供じみた教員であった。職員間でも問題の多い教員だっただろう。特定のおとなしい生徒を集中していじめて一人悦に入ってた。 |
職員室: | 私の父(平成29年に96才死亡 |
職員室: | 古典の先生の授業中に、一番前の席で暑くてスカートを膝までまくり上げて座ってたら、1度怒られて、暫くして又暑くてまくってたら、そんなに見せたかったら職員室で見せろ~!!!って怒られた。 |
伝説: | 通称リカちゃん先生がいたとか |
教室: | 生徒手帳の話を1つ。中学生、高校生になると学校から生徒手帳が配られる。中学校のごろは制服に名札をつけていた(名札があった)ため、生徒手帳に写真はついていなかった(はず)。しかし高校生になると制服(札幌西高校などの制服がない私服の高校を除く)に名札がないため、生徒手帳に写真がついてくる。高校1年生(1998年・平成10年)までは生徒手帳の裏表紙を開き、見開きで左にクラス名、氏名、生年月日、住所、クラス担任名、クラス担任の電話番号(順不同)を書き、右にシールで生徒の氏名、クラス名、生年月日、学校名、学校の住所(受験番号かなにか?)が書いてあった。高校2年生(1999年・平成11年)になり、左側は前年度(1998年・平成10年)と同じだが、右側にラミネートフィルムで表と裏にはさむところがあり、そこにテレホンカードぐらいの大きさと厚さと硬さの身分証明のカードになり、そこに前年度の右側と同じ内容が書いてあった。有効期限は私たちの場合(2001年3月31日)とあり、これは期限が切れたらどうするのか?と聞いたら返却せず、返さなくていいとのこと。私は高校1年生のころ、自分で生徒手帳の左側に氏名などを書き込んでしまい、あとで同じクラスだった男子生徒に同じところを見せてもらうと、しっかり担任名のところに判が押してあった。失敗した、と思った。違うクラスの男子生徒に同じところを見せてもらうと、やはり同じところに担任名の判が押してあった。2年生になると、担任名のところだけ(別の担任の先生)判が押してあった。しかし、3年生(2000年・平成12年)になると、担任名のところもなにも判は押していなかった。その先生は高校3年生の11月に引っ越したから、電話番号も変わり、私たちは二重線で線を引いて電話番号を書き直した。ちなみに、生徒手帳はシール張りつけ、テレホンカードサイズの身分証明いずれも転学・退学の場合は返還しなくてはならない。 |
教室: | 冷房は無く、窓側にヒーターがあったっけ。 |
屋上: | 校舎の南側の校庭が一望できた。サッカー部や軟式野球部が練習してたな。 |
運動会: | 確か3年連続で雨天中止で競技に1つも出ないで終わった記憶あります |
卒業式: | すべり止めの有名私大の合格は決めていたが、“本命”の国立大の二次試験が間近という状況ゆえ、当初は余り感傷的にはならなかった。しかしある一場面がそれを変えるきっかけに…。朝の登校時から粛々と式典への段取りが進められて廊下整列を終えた時に、体調が優れずも証書を授与される(初代)校長先生が横を通られ、我々一人ひとりに『おはよう。今日は卒業おめでとう。』と声を掛けられたのだ。その温かい言葉を境にどんどん“名残惜しく”なった。その上で卒業式では、この3年間の不良振りにも関わらずここまで来れたことへの謝罪と感謝の気持ちや、4月から大学生に相応しい成長を遂げねばとの“決意“から、身が引き締まる思いになった。そして式後にはこのHRをもってクラスメイトが全国の大学に散らばっていく淋しさをも覚えたが、いつか再会して「しっかりやっている姿」を見せられる日が来るまで頑張らねばと思いつつ母校から旅立った。(卒業から28年。まだ5名の仲間と再会できていない。) |
入学式: | いぇい |
入学式: | 1993年4月 |
恋: | 懐かしい、 |
図書室: | あったんだろうが、行ってみた記憶が無い |