例)コピー機は職員室にだけにあった。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白職員室: | 物理のK先生みんなに嫌われてた。 いつもほとんど赤点。 何故なら1年なのに3年の問題。 出来るわけない。 又生活指導の先生。卒業式は必ず愛車のワーゲンに生卵がぶつけられる。 |
職員室: | 1年生の時、初めての中間試験が行われる時、何をどう勉強すれば良いのか分らず、近所の先輩に聞きに行ったことがあります。必死でした。結果を聞きたいでしょう??試験後。担任の「五味先生」全員の前で成績を知りたい奴は、職員室に来い。と言われたので放課後恐る恐る聞きに行った所、一言「お前53ばんめだな」怖い顔をしてギロリと見られガックンしょんぼり・・・・ところが翌日職員室に呼ばれ「ゴメンゴメン」「お前の成績はクラスで1番だ!」「生徒名簿が渡部の{わ}だから53人目の生徒番号を間違って言ってしまった。」・・・・笑い。そこから3年間1番か2番盲腸で入院して3番目に成績だ落ちたり。本当に楽しい学生生活でした。もう一度あの頃に戻れるなら戻りたい。そのときは見えなかった今を学習しなおしをしたい。もうすぐ70歳。お世話になった「五味先生、木村先生」ありがとうございました。 |
職員室: | 毎週のレポート提出で緊張してました。規律が整っているのかどの机もキレイでしたね。 |
職員室: | 職員室へ行きある先生に会うと必ず冷凍柿をくれた。 溶けるとぐじゅぐじゅでこれが美味しい。と先生は言うが好きではなかった。 |
職員室: | しょっちゅう呼び出された。 |
職員室: | その父の名前は 毛利清英と 申します。 |
職員室: | 国語の答案用紙で間違ってた為に行った。 |
職員室: | 予餞会や遠足を拒否して参加しない。就職の斡旋など放置し全くしない。生徒の将来を心配しない。 「妻にSMプレイを要求したら拒否され罵られ実家に告げ口され、面目がない」 そんな話を授業でする。当時、男子15人に女子40人以上だったが、高校生とはいえ子供にする話か! 今なら、セクハラ・パワハラだ! 当時はそんな権利意識がないし、スマホやTVでもそんなキャンペーンもないし、生徒は黙って聞いていた。 今なら、小学生でも感じるハラスメントであり保護者に話して学校に対応を求めマスコミ沙汰になるところだ。 過ぎた昔であるから今頃当人は冥途の人か。 鞍手の人だったが。 |
職員室: | 柔道場 簿ボロボロでした |
職員室: | 特徴あるしゃべり方の社会の先生、アゴに傷があった英語の先生、「これぞ熱血教師」と言わんばかりの先生、色々とお世話になりました |
伝説: | 花岡事件と関係ある |
プール: | 水泳のグリーンガードが残ってると真冬でもプールイン |
トイレ: | 昔の校舎は「トイレ」というより汲み取り式の「便所」で、何故か決まった個室(大) の中に靴下が落ちていた。休み時間、「便所」に幾度に裸足になる奴がいて「ソイツじゃないか?」と噂になった。ソイツだった。まさかとは思ったが、どうやら用を足したあと自分の履いてた「靴下」を「トイレットペーパー」の代わりに使っていたそうだ。ソイツのクラスメイトはソイツの事を陰で「クソシタ・クツシタ」と呼び気持ち悪がり、卒業アルバムには「オェ!」と書かれていた。 |
怪談: | 入学当初は真面目で明るい子がいつの間にかヤンキー(スケ番)になっていた。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
恋: | 大田七絵さん好きでした |
体育館: | あのステージの上げたり下げたりする幕?みたいなの見る度毎回「すげえかき玉汁」って思ってた |
告白: | 嫁さんにしたかった〰️EH |
感謝: | 幕張西高校の3年7組で同じクラスだった人達と再会したいです。卒業してから全く会っていない人が多いけど、みんな元気でいるのかな? コロナが収束したら、同窓会でもやりたいです。 |
トイレ: | 夕方以降は、何故か怖い! |