熊本県立第二高等学校の記録

懐かしい熊本県立第二高等学校の記憶を共有するページです。

熊本県立第二高等学校の記録

熊本県立第二高等学校記録といえばギネスブックですが、ギネスに限らず、さまざまな世界記録、日本記録、各種大会の優勝記録や連勝記録、さらにはテレビや新聞に紹介されたなどなど何でも構わないので、あなたが知っている記録的なお話を教えてください。

熊本県立第二高等学校
記録の思い出

※ユーザ名と削除パスワードは必須ではありません。

例)学校の記録的事件










[注意]個人を特定できる投稿・誹謗中傷・その他不適切な書き込みは削除いたします。またそうした不愉快な書き込みを見つけた方は「問い合わせ」より知らせていただければ削除いたしますのでご協力よろしくお願いいたします。

その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の高校の記録での記憶

記録での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 記録での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
記録森田健作さんの映画の撮影に校舎が使われた
記録たんおまなと
記録看護科の同級生からひどいいじめを受けた、自分は途中で学校を辞めてしまい苦しい思い出を植え付けられた。その人は性格きついから看護師にあってるわ。今頃ヒィヒィ言いながら働いていると思うとざまあみろって思う
記録ブルマ
記録東大出たものだけで親睦会をしたいね。
記録開校当初、男子夏服は白カッターシャツにアイボリーズボン。私服と見分けが難しく下校途中に千里中央に寄っても「一旦帰宅しました」と生活指導の先生を言い包める輩も。逆に冬服は当時珍しい紺ブレザーにグレーズボンですぐ東豊中高校の生徒とバレた。
記録休みすぎて単位落としたのか?赤点取りすぎてたのか知らんけど進級出来ないのが数人いてダブってて歳違うのに同級生になってるのが数人いた
記録簿記会計3級先生に、認められました。
記録覚えてますか?
記録1971年に大阪府下71番目に出来た公立高校だったので「71」をあしらったデザインの校章だつた。

高校での他の場所の記憶

他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
プール屋上のプール途中の階段でヤニ補充
教室視聴覚室はいつも閉まっていたような印象がありました。
追伸 S38年市立A野中学を卒業して四天王寺高校に行かれたY江・S木(旧姓)さんへ。 A野中学3年11組(伊藤先生)で一緒だったH・S谷です。府立S吉高校に行った同級生です。多分この様なサイトを読まれないかとも思いますが、可能性を信じて書いております。 もし私のフルネームをご記憶なら、是非Googleにアルファベットで私のフルネームを記載して頂ければかなりの情報が記載されております。現在の自宅の住所の記載もあります。是非コンタクトがとりたいです。私は今東京のCh大学の教授をしております。 ところで貴方の初恋の人だったT・F君は残念ながらかなり若くしてお亡くなりになりました。貴方から貴方の初恋の人の名を告げられた時は何とも複雑な思いでまごついた次第です。貴方は私の初恋の人だったからです。ですのでその日の夜はよく眠れなかったことを記憶しております。 それもこれも今となっては53年前の想い出。現在68歳。来月69歳になります。この歳になっても初恋の思いは胸を恋焦がさせます。お幸せな毎日を送られているかがとても気になる次第です。
職員室毎週のレポート提出で緊張してました。規律が整っているのかどの机もキレイでしたね。
トイレうんちブリブリ〜
屋上屋上のプールに飛び込むと、下の教室にドンドン響いておりました。
図書室3年の時しか入った事無いけど狭くて暗かった
入学式定時制
伝説葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね!
記録ブルマ


ページの先頭へ