習志野市立藤崎小学校での謝罪

習志野市立藤崎小学校の謝罪

習志野市立藤崎小学校子供の頃よくわからないまま人を傷つけてしまったこと、少なからず誰しもあるのではないでしょうか。友達に言ってしまった何気ない言葉、好きな子の気を引こうとつい嫌なことをしたこと、物を隠したりイジメをして相手を傷つけてしまったこと。特にいじめられた人を長く心に残ってしまいます。とはいえやってしまった方も大きくなって後悔する人が多いもの。
伝わるかどうか、伝わっても許してもらえるかわかりませんがここでその過ちを謝罪してみませんか。
※不特定多数に個人が特定デリケートな情報や誹謗中傷は記載はお控えください。

習志野市立藤崎小学校
謝罪の部屋

※ユーザ名と削除パスワードは必須ではありません。

例)子供心に安易な気持ちでいじめをしてしまいました。今では本当に後悔していますAさんごめんなさい。










[注意]個人を特定できる投稿・誹謗中傷・その他不適切な書き込みは削除いたします。またそうした不愉快な書き込みを見つけた方は「問い合わせ」より知らせていただければ削除いたしますのでご協力よろしくお願いいたします。

その他の思い出ページものぞいてみてください。

懐かしの光景・思い出

学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室

うわさ話・エピソード

あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。

給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録

想いを伝える

昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。

感謝 謝罪 告白


他の小学校の謝罪での記憶

謝罪での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 謝罪での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。
謝罪受験受かっていきってた
謝罪先生の鉛筆なくしました、ごめん先生
謝罪私の母は、昔、視聴覚室の壁を蹴破りました。壁さんごめんなさい。
謝罪あ~あ、なかなか会えないな、いつ会えるのかな、邪魔する人いっぱいって困るな。会いたいよ。
謝罪うん
謝罪Iwさんいじめ有名 里・mさん私つからったけど親には言えませでした私も母になりやっぱりあなたがたはゆるせまん
謝罪小2の時教室の鍵無くなったの僕がすなばに埋めました。
謝罪昭和30年代,ヤクザのようないじめっ子がいて,だまってかぶっていった父親の紅白帽を盗られた。お父ちゃんごめんなさい。こいつはいい人生送れないはず。
謝罪学校を脱走して大騒ぎになった事、今考えると本当に大変な生徒だったと思う。ごめんなさい。
謝罪小山先生ごめんなさい…私はやらないといけない事を今まで知らないフリをしてにげてやり通してきました。※私は今は5年生です。

小学校での他の場所の記憶

他の小学校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。
教室ぼくが4年生の始めに高羽小学校に転校して来た時、神戸の小学校では表紙に神戸の風景の写真が載った国語帳、算数帳、社会科、理科の記録、連絡帳など独特のノートが使われていて、ちょっとびっくりした。もちろんぼくは、それまでの小学校では違うノートを使っていて、そのようなノートは見たことがなかった。そのためぼくは、しばらくの間、前の学校で使いかけのノートを学年をまたいで使っていて、ほかのみんなとノートが違って何となく違和感があった。それまでのノートを使い終えて新しいノート(神戸ノート)に買い換えてから、ようやく高羽小学校のメンバーに仲間入りした感じだった。
トイレ40年位前に今の体育館あたりに汲み取りトイレがあったと思います。夕方4時になるとトイレの便器の中からおばあさんが手をのばしてくると噂されていました…
給食殆んど食べられませんでした…ごめんなさい
校庭校庭の怪談ってありますかね?
給食新メニューも度々追加されていました。
伝説なんにもない
職員室そんなに小学校のときは職員室には行かなかったけど中学校は少し小学校より行く 友達が職員室で怒られるのを見た
保健室校庭のプレイスカルプチャーで足に大怪我(肉が見えちゃうほどの)をしたんですが、毎日保健室で消毒してもらってました。あの頃は滅多な事では医者なんか行きませんでしたよね。保健室の先生、名前なんだっけなー・・・。
給食おべんとうです。あとカフェテリアのパンと弁当注文
校庭この小学校6年生だった昭和20年代後半のこと、男子は他の小学校とたびたびソフトボールの試合がおこなわれた。(女子はきっとドッジボールの試合があったのだろうと思うが思い出せない)。当時、谷一は守備もすごくうまい選手が多かったが、打撃ではすごい選手がいた。S君、I君である。彼らはスターだった。とんでもなく遠くにホームランを打つので、相手校の先生(監督)はすべてボール球をなげるよう指示していた。それでも彼らは踏み込んで遠くに飛ばすので、その次には、すべてゴロを投げ、フォアボールとして一塁に出していた。こんなことをしても、我々に勝てるわけないよと笑いながら、応援していた。その日の試合は、接戦ではあったが、結果的に負けてしまい、本当にがっかりし、とても悲しかった。家に帰りながら思ったことは、対等に立ち向かえない相手には、作戦というものが必要なのだということであった。谷一ホームページ見つけて、校庭について何か投稿しようと思ったとき、こんな些細な出来事を思いだした。


ページの先頭へ