例)子供心に安易な気持ちでいじめをしてしまいました。今では本当に後悔していますAさんごめんなさい。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白謝罪: | 私もいじめ?嫌われていました。初めは同じ方向の数人と下校してたんですが、ある日、突然、仲間外れにされ、それ以来下校は1人でした。 ある時は、正露丸入のチョコを貰い、家で母と正露丸入りとは知らず母と正露丸入りのチョコをたべてしまい、悲しい顔した母が今でも忘れられません。 母は数年前に他界しましたが、悲しい思いさせてしまった事、御免なさい。本当に御免なさい。 |
謝罪: | お名前を失念してしまいましたが、教頭先生、体育主任のラグビー部顧問の先生。本当に御迷惑お掛けしました。当校の先生方には誰一人として頭が上がりません。卒業後、二度ほど伺い校舎を少し拝見しましたが思い出深かったです。現在は無くなってしまいましたが。 |
謝罪: | 子供を作ってしまい2学期の途中で退学した田中さん、父親として責任をもって一緒に辞めた井上くん、父親は実は僕です。ごめんなさい |
謝罪: | KKさんごめんなさいを言いたかった1年 転校しました |
謝罪: | ある部活を途中で辞めたものです。A.Mさんに変なLINEを送ってしまったことを超超超後悔しています。本当は他の部員からいじめられていたことを相談したかったからです。死ねを連呼したのはA.Mさんに対してではなくハヤシさんやタツノさんに対してです。こんなにA.Mさんに対して嫌な思いをさせてしまい申し訳ないと超超超超反省しています。もしA.Mさんが許してくれるならまたいつか会いたいです。もう顔も見たくないならそれでも構いません。話したいと思うなら。成人式で見つけたら話しかけてください。本当に変なことしてドン引きさせてしまい申し訳ないと反省しています |
謝罪: | 何年度か分からないけど、電気科の喫茶店に来てスパゲティを食べた方々。我々は業務用のパスタソースを希釈する事を知らなかったので、ただただソースを温めて茹でたパスタに掛けて提供してました。食べた人は普通よりも辛くてべたべたと重かったと思います。すんませんでした。 |
謝罪: | 先生だったな〜 |
謝罪: | 1974.AK本当に本当にごめんなさいm(_ _)m当時の判断、自分自身に後悔してます。まずは同棲すれば良かったのともっと気楽に生きたらなと思って反省ばかりですね。自身自身に自信が無いばかりにAKを幸せにできなく、後悔ばかりです。本当に本当にごめんなさい。でも当時はこんな俺につきあってくれて本当に嬉しい思い出沢山有難う。 |
謝罪: | まみちゃんめちゃ愛してくれてありがとう。本当傷つけて別れたけど幸せになって人生過ごして下さいねー |
謝罪: | 愛女時代(平成初期・昭和47年生まれ)50組の皆さん。「実行しなかったからイジメに加担したわけでもないし。加害者にはならないよね」と仰っていましたが、いまも憎んでおります。だって、「自分たちまでイジメられたくない」との理由で、遠足の班から追い出したり、階段から落とされるのを笑って見てた(止めていない)時点で共犯です。いずれあなたたちの名を使って、投稿小説内で殺人者や被害者になってもらいます。それが私なりの復讐です。 |
校庭: | テニスコート1面ギリ、超狭かった!! |
トイレ: | 受験(一期生の二次募)に行ったら、大にドアが無くみんなびっくり。ワザと落ちました |
音楽室: | 当時は確かLDというものがあって。確か第二音楽室でレーナード・バーンスタインの指揮の動画を見たような。よく分からなかったけれどもっと観ていたかった。今からしたらすっごく贅沢な時間。 |
校庭: | 校庭じゃないけど あの懐かしい堀の石の間に持ってきてはいけない物をよく隠した |
運動会: | フィナーレは3年生のダンス。 |
職員室: | 長髪へのしました 丸刈りからね |
恋: | 二年の時に、教室を移動して戻ってきた際に、机にラブレターのようなものを書かれ、いたずらだと思い何度も何度も消した。最後に鞄の中に紙が入っていて週末の放課後に焼却炉のところに’きてくれとあった。僕は誰が書いたかもわからず、99%悪戯だと思いつつも、もしも本当だったらいかなかったらわからずその人を傷つけることになるくらいなら俺が傷ついた方が良いと思い、その日その場所に行った。しかし時間になってもだれも現れず、その日バイトの面接があったので急いで電車に乗った。ただその場所を離れる際、二人のクラスメイトとすれ違ったのだが、3年になったあるときその二人のうちの一人が廊下に立って僕を睨み付けていた。僕は「いたずらしといてなににらんどんねん」と思った。それから何年も経って、ふと思い出したとき、まさかあれは本当だったのか?それで僕が立ち去ったのを見て自分がフラれたと思っているのかと考えるようになった。まさかそれはないとは思うが、そうなら申し訳ないことをした。僕は意外とその子気に入っていたんだけどね。 |
感謝: | 準特の7組の人は、何人か集まったりしていますか |
告白: | 同じクラスだったぎょうちゃん |
入学式: | 高校1年生、初めて花輪線の機関車が引く列車に乗り大舘駅で花岡線のジーゼル列車に乗り換えやっと、たどり着いた学校。クラスに入ると授業開始前にドカドカと先輩(2年生)がクラスになだれ込み「お前ら、返事が足りないんだよ。」とまず焼き入れ、皆は「シーン」ただただ下を向いているだけ、やがて朝礼の時1年生はいち早く「体育館」に集合。そこで先輩から、校歌を教示されるが半端な歌い方ではなかった、後ろに反り返り体育館の天井を見ながら大声で歌う。1週間は続いたかな・・・今思えばシゴキでなく早く花岡工業高校(大舘工業高校の前進)の男たれの先輩たちのはっぱだったかもしれない。体育館は「妙に天井がたかかった。」檀上には「番長高谷氏」が学ランに首から茶色のぶっとい組紐をぶら下げ、「俺は男だ。」を誇示していた。体育館は「男」を気づかせる場所だった。そして板敷の廊下を「番長」が足駄(下駄)を履いてお伴を引き連れながら体育館に入ってくる青春の時代であった。男臭さのプンプンする「花校」が懐かしい。今の時代のような陰湿なイジメや派手さのない筋の通った学校で勉強出来た青春だった。先生もみんな筋が通っていた。白は白・黒は黒・・・灰色はない。強烈な個性の集まり「花校」のような学校が復活すればいいな。と思う昨今だ。 |