例)練習きつかったけど最後にやり遂げた時の達成感が今でも記憶に残ってます。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白運動会: | 16年ぶりの緑組優勝 |
運動会: | 組体操に応援団、頑張りました❗️ |
運動会: | 確か6月下旬。なぜか『子供盆おどり唄』という、アレを踊らされた。理解に苦しんだww。 |
運動会: | 騎馬戦や、組体操 今では考えられないほど 高度なものでした‼ |
運動会: | 6年の最後の運動会で、騎馬戦をやった。例年は綱引きだったが、その頃のうちのクラスの担任の提案によりそうなった。やったことは無かったが、騎馬戦の雰囲気はすぐに掴めた。作戦などもしっかり考えていくうちにクラスが団結に向けて近づいているのかと感じられた。本番も、一人一人が自分の全力を出して闘ったおかげで、悔いのない結果を残すことができた。この種目は、私が小学校の運動会の中で一番楽しかった。この種目が今も続いてくれていることが嬉しい。時が過ぎるにつれ、また新しい人達に騎馬戦の楽しさを感じて貰えるからだ。私は、あの騎馬戦のフィールドに立っていたことをずっと誇りに思う。 |
運動会: | 2006(小1)は覚えていない。図工で作ったと思われる蝶の触覚やクワガタのはさみみたいなのを頭につけて踊っていた。何の曲だったのか、情報求む。 |
運動会: | 6年連続リレーの選手に選出された。 |
運動会: | 走る時毎回ビリで悔しくてみんなが見てない所で泣いてた |
運動会: | 46年前は、地下足袋ではしりました。懐かしいな~ |
運動会: | 給食めっちゃおいしかった。特に好きだったのは揚げパンかな。もう一度学校の揚げパンが食べたいな。 |
飼育小屋: | うさぎが死んだウサギ小屋はあるが何もいない |
トイレ: | 流されていないウンコが多い |
飼育小屋: | アヒル&カモ。うさぎ。ニワトリ小屋(チャボ、セキセイインコ?)。池(亀、金魚&鯉、メダカ?)。 |
体育館: | 卒業の年に体育館が新設されたように思います。壁のタイル画は卒業生の手作りだったと思います。 |
入学式: | 私たちの時の入学式は、徒歩で登下校しましたが、今は、車で登下校しているようです。でも、徒歩で登下校した学年は、足腰が強くなっているかも。 |
校庭: | 石ころのいしはまだありますか? |
恋: | 隣の席になって嬉しかったのに好きと言えず残念でした。中学も一緒だったけど言えなかった。色んなSNS探したけど見つからず、ここに書きます。5年生のころあなたが大好きでした。 |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
恋: | 好きな人をしつこく聞いてたらお前だよと書いてある紙をもらいました。 |
校庭: | よくみんなで虫取りをしました |