例)お琴がありました。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白音楽室: | 1年生にしかない音楽の授業。せめて美しい女性の先生であって欲しかった。 |
音楽室: | 1人に1台電子ピアノが用意してあり、バイエルを練習した。 とても懐かしい思い出です。 |
音楽室: | 2階の廊下の窓から飛び込んだ事があったような気がします。 夏休みに運動部のトレーニングと称して遊んでました。 |
音楽室: | 校歌テスト ケサラ |
音楽室: | クラスの教室でした。 |
音楽室: | 音楽担当の先生のあだ名が「(林家)ぺー」だった。 |
音楽室: | 吹奏楽部でした。 コンクールに向けての練習が懐かしい。楽しかったな。 |
音楽室: | ブラバンは海までランニングや廊下で筋トレとかやったり |
音楽室: | 音楽室の思い出がありません。2年生になって新校舎ができたときは芸術?の科目は美術を専攻していたのであまり音楽室には行きませんでしたね |
音楽室: | 三味線をしました! |
恋: | 伴千世さんの事を初めて見て好きになりました。隣の席になったときには緊張しました。淡い初恋です。 |
プール: | 昔(女子高)のころは屋上にプールがあった。現在は老朽化のため使用禁止で使えなくなっている。2年生のころの教室の横に階段があり、鎖が警察の立入禁止のロープのように張ってあり、真ん中に重たい石の標識のようなものが置いてあった。 |
教室: | 確か5階まであったような気がします。継ぎ足しで増築して商業実習棟もありました。そろばんや簿記など勉強しました。古くは和文英文タイプなどもありましたが、昭和59年頃からワープロやパソコンが設置されてました。 |
恋: | 麻実ちゃんには幸せになってもらいたいんだ!誤解されがちだけどいい子だからね。 |
校庭: | その1:今でもそうかは分からないが、とても細長い校庭だった。高校一年の頃、とても評判の良い教頭先生がお亡くなりになり、学校葬が行われた。先生の棺が校庭を斜めに進んでいくと、校歌が静かに流された。その時とても厳かな気分になったが、その時の校歌と校庭のことふと思い出す。その2;オリンピックに出場した体操の田中敬子さんが都留高校の先輩の池田選手と結婚して間のないころと思うが、この校庭で模範演技をしてくれたこと思い出す。スター選手を実際に見たのはそれが初めてだった。その3;体育授業の時トレパンを忘れ、普通のズボンで出たが、すぐ土に座れなんて言われた。その後の授業の時、土まみれのズボンを女子に見られたことがとても恥ずかしかったこと思い出す。 |
感謝: | 小山先生、心がぐちゃぐちゃになって泣いた私をおんぶして、あそこが貴女の居場所だよって言ってくれましたね。恥ずかしかったけど、今でも忘れられない大切な思い出です。本当にありがとうございました。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
教室: | 3年の時は39人だったのでものすごく勉強しやすかった。 |
校庭: | 生徒会主催で、昼休みに中庭でフォークダンスをしました。 |
教室: | 先生~!ごめんね~? |