例)音楽室は夜になると誰かがピアノを弾いているという怪談話がありました。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白音楽室: | 「イッヒリーベディッヒ」大原三郎先生懐かしい(θ‿θ) |
音楽室: | 55年前の、窓から新潟大学付属病院とその前の大きな松並木を思い出します |
音楽室: | 机に1988.Ino.j.High.sと掘ってありました |
音楽室: | 私は音楽を選択していました。岩瀬先生でした |
音楽室: | 秋山??子先生の壮絶傲慢な差別。2人ピアノ生徒をならべ親の前で、アンタ○○さんに負けたわね!とほざいた。教育者失格、最低の教師、地の果てに落ちた指導者。生徒を並べ勝ち負けを本人の前で言う堕落者。最低の指導者でした。そんなピアノ指導者を存在させた学校許せない。 |
音楽室: | 吹奏楽部でした。 コンクールに向けての練習が懐かしい。楽しかったな。 |
音楽室: | 音楽室の上を軽音部化として使って、いつもバカでかいアンプでギターやベースをかき鳴らしてた記憶があるな〜 |
音楽室: | 選択科目は音楽だったのに、音楽室のこと覚えてない。なんで?真面目に勉強してへんかったから(*≧∀≦) |
音楽室: | 授業は声楽からギター、試験は1人ずつピアノで音を聞いて指定の曲をその場で抽選、最後に音が合っていれば合格等、自分達で自由課題で発表の総合点でしたね。 |
音楽室: | 21年前に卒業。音楽室では大好きな音楽教師に好かれたく友達がピアノ練習したいと口実作り、二時間ぐらい放課後いりびたってたな。この書き込みした日にちがちょうど、音楽教師の誕生日。元気にしてるかな? |
教室: | 2時間目が終わった辺りから、明らかに弁当か調理パンを食べただろうの臭いが、各教室に充満していた。先生も分かっていたのに、何も言わず見逃してくれていたが、実際食べ食べている所みつ |
伝説: | なんかいた |
体育館: | 体育教官室に、長介 発見❗️ |
怪談: | 本館三回の男子トイレでは度々黒いビニールのような質感を持った大人ほどの背丈をしたモノが目撃されていた。私も一度目撃したが、その日のうちに体調を崩した。今現在も見られるのかは知らないが、今でも謎である。 |
体育館: | 僕が2年生の時に新しい体育館になりました。デカくて綺麗になりました。 |
感謝: | 卒業間近になり、先生の言葉で思い出すのは、どんな種類の資格であれ、機会あれば1個でも多く取得して欲しいとの事。いざと言う時に忘れていても、調べれば良いし思い出せばよい、。資格を持っている限り、人生において必ず役に立つ時がある。50年以上前の話ですが、何回か役に立ちました。教えて頂き有難うございました。 |
教室: | 食堂といえばやっぱりカレーライス( ‘༥‘ )ŧ‹”ŧ‹” |
職員室: | 先生によく勉強を教えてもらいにいってた |
体育館: | 体育館はありませんでした。講堂です。卓球部、体操部、が部活でした。バスケットは、なんと外、バレーボール部も外、土の運動でした。今では考えられない厳しい環境だったのですがそれが当たり前だった。すごいでしょう? |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |