例)年に一回体育館の掃除がありました。雑巾がけが大変でした。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白体育館: | 窓が全開なのでたまに鳥が入ってくる事がありました |
体育館: | 自転車安全運転競技の練習をした。 小松あきら先生、厳しくて熱くて いい先生だったなあ |
体育館: | 木の古い体育館で毎日練習に励みました。新しい体育館に変わった時は、毎日マップがけと、時々ワックスがけをしてた事を思い出します。辛くて楽しかった青春の1ページです。 |
体育館: | 床にテープが貼ってあったけど、絶対剥がれなかった。 |
体育館: | 窓割ったやつがいた |
体育館: | 私が低学年の頃に建て代わり、現在では中学生が使用している体育館になりました。古い体育館は今のよりも狭く、本来は体育館として作られたものでは無いと聞きました。因みにこの古い体育館、ステージの下に両裾に行き来できる狭い通路があり、年中寒くてとても暗い場所でだったので、本当にお化けが出てきそうな所でした。新しくなった体育館にはそんな場所なんて無いので少し寂しい気分になりました。 |
体育館: | 長岡小学校に入学する前、小学校の体育館で兄のクラスがリコーダーの演奏をしていました。僕はそれを母と見ていたのです。兄のクラスは横1列になって演奏していたのですが、1番右端に髪を前に垂らしてリコーダーを演奏していた女の子を見たのです。小さい頃の記憶なのでうる覚えではありますが今思えば髪を前に垂らして演奏するなんておかしいと思いました。顔が隠れるし、 あの子は本当に兄のクラスメイトだったのか、もしかしたらあれは見てはいけないなにかだったのかも知れません |
体育館: | 食べました!一年から六年まで、ホーローのしやれた花柄のなべにシチューがはいってたのおぽえています |
体育館: | 体育館の中は、ステージのところから、右壁か左壁のどちらかに、田井小に校の校歌が、飾っていたねえ!懐かしい! |
体育館: | 体育館は、生徒が、濡れ雑巾で、拭いた後、乾いた雑巾で、乾拭きしていた。 |
体育館: | 縄とびをしていたら急になわとびがとびかかって来て顔ケガした。! |
理科室: | 眩しかった |
恋: | 四年間両思いでデートとかもしていました。6年になった瞬間とある女子に取られてしまい、挙句の果てその女子は男好きでいつも何人もの男子たちと遊んでいます。許しません |
校庭: | 校庭が海岸の砂を入れてたから、貝殻拾いしてたよ(-_-;) |
音楽室: | 南部中の音楽の先生めっちゃ可愛い!中本早織先生! |
飼育小屋: | 死んでしまったウサギの亡霊が出るという |
図書室: | ファーブル昆虫記シートン動物記怪盗紳士ルパン懐かしい |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
教室: | あんまり早く学校に行くので注意されたことあります |
運動会: | 応援団で一つ下の学年の子と仲良くなれた |