例)卒業式に親友たちと別れるのが名残惜しかったです。 |
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学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白卒業式: | すべり止めの有名私大の合格は決めていたが、“本命”の国立大の二次試験が間近という状況ゆえ、当初は余り感傷的にはならなかった。しかしある一場面がそれを変えるきっかけに…。朝の登校時から粛々と式典への段取りが進められて廊下整列を終えた時に、体調が優れずも証書を授与される(初代)校長先生が横を通られ、我々一人ひとりに『おはよう。今日は卒業おめでとう。』と声を掛けられたのだ。その温かい言葉を境にどんどん“名残惜しく”なった。その上で卒業式では、この3年間の不良振りにも関わらずここまで来れたことへの謝罪と感謝の気持ちや、4月から大学生に相応しい成長を遂げねばとの“決意“から、身が引き締まる思いになった。そして式後にはこのHRをもってクラスメイトが全国の大学に散らばっていく淋しさをも覚えたが、いつか再会して「しっかりやっている姿」を見せられる日が来るまで頑張らねばと思いつつ母校から旅立った。(卒業から28年。まだ5名の仲間と再会できていない。) |
卒業式: | 泣いて泣いて、大好きな先生が「いいなあ、そんなに泣けて」っていいました。とにかく泣けて泣けて・・ |
卒業式: | テストの項目がなかったので卒業式のところに書いたが(打ったが)テストの項目もつくってほしい。例えば、こんな問題が出た、珍しい問題などetc。 |
卒業式: | 私は、50歳に、なってから、卒業アルバムを、見る事が、辛くなりましたのは、私を、いじめました人たちは、まだ、50歳に、なっていなくて、私を、いじめました事を、忘れて、立派で、素敵な女性に、なっていますでしょうね。私は、忘れていなく、私を、いじめました人たちより、ネガティブ思考に、なり、イライラする事が、あります。私は、かおり友の会を、辞めない限り、私を、いじめました人たちと、縁が、切れなく、イライラする事が、よくあります。 |
卒業式: | 俺達の仲間は無事卒業出来ました。松溪中学出身の仲間は元気ですか?笠井君、古田君、氏野君どうしてる⁉️ |
卒業式: | 卒業式では担任から1人1人名前が呼ばれ、壇上に上がって卒業証書を受け取らずに、卒業式が終わってHRで担任から1人1人卒業証書を受け取った。 |
卒業式: | 当時バブル絶頂期だったので、就職も内定していてとりあえず入社式が東京だったのでワクワクしていた記憶あり |
卒業式: | 卒業式の次の日、3月2日は1時間目に卒業式のあと片づけをし、2時間目・3時間目に学年末テストを行った。(3月2日から4日間。休日をはさむ場合は次の週に行う。)卒業式は1年生は参加せず(休養日となる。自宅で家庭学習。)2年生から参加する。3月1日が来ると、卒業式よりもあと片づけ、学年末テストのほうが頭をよぎる。 |
卒業式: | 卒業式は刑務所や少年院をやっと出所出来るような気分でした。 |
卒業式: | 卒業式の思い出は、卒業式も終わり教室に帰り、担任の先生から送られた言葉です。「これからの人生、色々なことがあるだろう。・運・鈍・根を送る。」と言われました。今でも時々、思い出します。教室ではクラスメートが名残惜しそうに教室から出ていかなかった。 |
文化祭: | 北田気の高台に新校舎竣工済でしたが、3年の文化祭は旧校舎で、の希望を先生方が聞いてくださり、無事に開催。その後、寒い久慈川の風に吹かれながら引越移動しました。 |
トイレ: | トイレのドアノブが外れて閉じ込められた |
怪談: | 首が吊り下げられてる |
告白: | 昨日、夢で会えました。切ないけど、また夢で会えますように。 |
体育館: | ギャラリーがなんか楽しい |
恋: | 3年間ずっと先生に恋していました。結婚しちゃいましたけど・・・卒業式に告白しました。最高の思い出です。 |
卒業式: | 私は、同級生のほとんどの人から、いじめに、あいましたので、かおり友の会の昭和62年度の卒業生のほとんどの人が、嫌いです。かおり友の会の会員に、なっています事で、生理的に、ストレスと、なり、ノイローゼに、なる事が、あります。ほとんどの同級生の人たちは、私と、違って、母親に、怒られなく、立派に、なってるでしょうね。かおり友の会の同窓会の通知の件ですが、私は、かおり友の会を、やめたいので、私の方へは、発送しないよう、宜しくお願い致します。 |
教室: | むか~しむかし、昭和の時代。この学校(旧校舎)に「きだ~ら」という国語の教師がいました。ある日の授業で「きだ~ら」は、生徒全員に小さな紙を渡し、「これから、皆の書いた句をつないで俳句(川柳)を作ります。」とその句が書かれた小さな紙を回収し、それらの句を「五七五」になるように組み合わせ黒板に書き出しました。そうして黒板に書かれた俳句(川柳)を見た生徒たちは笑いました。その光景を見ていた「きだ~ら」も、と~っても満足げでした。しかし、一人だけ不満げな生徒がいました。黒板に書かれた俳句(川柳)には全てに彼の名前が入っていたからです。彼の名前を悪ふざけで書いた生徒が数人いて、それと他の句(差別的な用語や卑猥な用語)を組み合わせて「きだ~ら」は俳句(川柳)という名の「悪意」を黒板に書き出し、彼をクラス全員の「晒し者」にしたのです。授業中に黒板に自分の「侮辱」を10通り以上書かれて気分の良い人間などいるでしょうか?しかも、彼は「きだ~ら」に恨まれるような事は何一つしておらず、ただ単に「きだ~ら」の「受け狙い」だったのです。もしも、今の時代にそんな事を教師がして、生徒が「不登校」になったり、「自殺(未遂)」したなら連日報道され、そんな教師は「処分」されるでしょう。しかし、「きだ~ら」はそうはならず、噂では「学校長」にまでなったそうです。今は、何もなければ「定年」を迎えているやもしれません。そんな人間に「学校長」の「辞令」を交付し、高い給料(税金)で雇用し、定年退職ともなれば高い退職金(これも税金)を渡す「北海道教育委員会」は何を考えているのでしょう?一方、「侮辱」を受けた生徒はその後どうなったのでしょうか?彼は |
恋: | 2年の先輩にラブレター出したら、昼休みに呼び出されてフラレた。 3年の先輩と付き合いしたけど、ケンカ別れした。 |
校庭: | 鹿がうろついていた。 |