例)トイレには花子さんが出るそうです。 |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白怪談: | 今のランチルームは昔大向小学校の第二音楽室であったそうです。(少し怖い!?) |
怪談: | トイレの花子さんを呼んで「はーい」と、返事が返ってきたら絶対に「おままごとであそぼ」と言ってはいけません。理由は、包丁で殺されるからです。くれぐれも気を付けてください。あともう一つあります。「なわとびで遊びましょ」と言ってはいけません。理由は、なわで首を絞められるからです。でも、ただ花子さんは遊び方がわからないからと言われています。 |
怪談: | 水泳を終えるて着替えるとき、男子のパンツと女子のブルマーが交換された事件が、同じ学年のどのクラスでもあった。しかも女子のブルマーには細工はなかったけれど、パンティーのアソコの部分にスースーするようなものが塗られていたようで、女子は初めての体験だったからか皆イキそうだったのが思い出す。怪談ではなく、これは犯罪だ。 |
怪談: | 音楽室の偉人の写真(?)は目を逸らしてもキメ顔orドヤ顔で目を合わせてくる笑笑ってゆー思い出。(6年の時) |
怪談: | 体育館は元々墓地、北校舎の理科室には昔火事で亡くなった子の霊が出るそう |
怪談: | 理科室の骸骨が動く |
怪談: | 理科室の人体模型は夜歩くそうです。 |
怪談: | 前の南校舎は呪いの鏡がある。。。。 |
怪談: | 理科準備室の骸骨の頭の向きが月に1回かわる |
怪談: | 4階の音楽室側のトイレの手洗い場は勝手に水が出る事がある |
給食: | やっぱりキムタクご飯すかね。懐かしいな無性に食べたくなるあの味 |
感謝: | かどせんありがとう |
理科室: | ボーリング柱状図をペットボトルで作ったりした |
下駄箱: | ラブレターもらいました(恥) |
感謝: | 2021年度、佐藤真奈穂先生にはお世話になりました。元気にしていらっしゃるでしょうか。今思うとたくさん迷惑もかけたし、失礼なこともたくさんしてしまったけれど、先生はいつも優しくしてくださいました。私は漢字が苦手だったので、宿題を手伝っていただいた記憶もあります。授業中ふざけていて叱っていただいた思い出もあります。休み時間毎日追いかけ回していた思い出もあります。そんな学校生活で、先生の優しさに何度助けられたことか。もう数えきれません。先生、本当にありがとうございました。どうか元気で、そして幸せでいてください。 |
校庭: | 運動会の歌 |
トイレ: | 昔のトイレは今のようなトイレではなくて、側溝のようなトイレが仕切られていた。水は流さなくて大便したらそのままで、トイレは臭かったし怖かったから友達に付き合ってもらっていました。 |
教室: | 校歌覚えてる人?はーい |
職員室: | 小生現在80歳。父が校長をしていました。校長住宅は校舎の端につながっていました。従って住宅から教室には戸1枚で隣り合わせでした。 従って時々職員室に勝手に入り戸棚に置いてあった教材用の実験器具などを触ったりして遊んでいました。職員室から教室に向かう廊下のすぐ上に不気味な亀の甲羅がへばりつくように飾ってあったのを鮮明に記憶しています。校庭の脇には松の木が1列に4~5本植えられていました。ある日そこに馬と人と大きな注射器様のものとバケツが置かれていて何人かの人がいました。今思うと人工的にアレをしていたのです。住宅の玄関を出るとすぐ右手にポプラの木が1列に並んでいて風のざわめきに公害の影響のない葉がきらきらと輝いていました。 ポプラの木の上は一面が高台になっていて冬はその雪原でスキーで遊びました。 さて話題を転じて校庭の左奥には奉安殿があり正面に位置する校門の出口には芝を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像がたっていました。 そこを出ると当然舗装の無い雨や雪が降ると泥んこ道に変貌する坂道がありました。道を挟んで向かいにある農場に小屋があり中にはもはや動かない赤い塗装の農機具(プラオだと思う)が鎮座していて乗って遊びました。前出の道路を下ると左手に野X村さんの家がありそこのつXるちゃんとは遊び友達でした。 更に道を下って少し左に曲がった右上にお寺があり住職さん(X田さん?)は当然村の名士でもありました。 娘さんの歌X子さん?は師範学校に合格して我が父が喜んでいました。父の自転車の前に乗せられて細い山道をがたがた揺られて尻が痛いのを我慢しているとやがて右下に豊浦の町並みが見えてきて痛いのはもう少しの我慢と思ったものです。 当時は戦争末期のころでときどき神社の前庭から 「XXX君」と書かれた白いたすきをかけた出征兵士が人々に見守られながら歩いてくる姿を見たこともありました。 豊浦の駅からどこの戦地に向かったのでしょうか。 そして昭和20年6月我が家族は思い出の花和を後に村の人が用意してくれた馬車に布団を敷いてそこに座って次の赴任地の樽前を目指して豊浦駅に向かったのでした。 |
下駄箱: | うーん特に何か不思議なものはなかったんですが。とにかく廊下と、下駄箱付近は本当に汚かった印象があるwww |