所在地や連絡先、偏差値等詳しい最新情報を掲載。みなさまから提供いただいた情報も掲載いたします。
卒業年毎の専用ページです。卒業生同志の交流や、同窓会情報、卒業アルバム、クラス名簿など多数のコンテンツがあります。
同窓会の開催情報です。同窓会情報だけでなく、予定が無くてもやりたいという方でも同窓会ホームページを作成できます。
山之村小学校出身の芸能人やスポーツ選手といった有名人、著名人を紹介します。
山之村小学校の評価をいくつかのカテゴリにわけて評価をしています。また皆様からの評判も掲載します。
体育館の舞台裏、教室の落書き、理科室の匂いや実験器具等、学校の様々な場所での思い出を共有しましょう。
山之村小学校出身の卒業生が現在どこで活躍されているか、みなさんのご意見をもとに掲載しています。
在校当時の懐かしい写真や同窓会写真、今の学校の風景など無料で共有することが出来ます。
偏差値情報を掲載しております。 最新のデータはもちろん過去の偏差値情報も掲載しております。偏差値の推移もご覧いただけます。
学校関するみなさまの様々な意見を掲載しております。まだアンケートに参加いただいていない方は是非ご協力ください。
yamanomurasyougakkou
飛騨市神岡町東部(旧・阿曽布村東部)にあり、岐阜県最北端の小学校・中学校である。1982年に神岡町立下之本小中学校と神岡町立森茂小中学校を統合し、新設された学校である。過疎化のため児童生徒数は少なく、平成30年度の生徒数は小学校10名中学校2名であり、一部は複式学級を行っている。学校から離れている下之本、和佐府地区の生徒はスクールバスによる通学である。積雪が2mを越える豪雪地域のため、学校に近い森茂地区の生徒も天候によってスクールバス通学の場合もある。体育授業の一環としてクロスカントリースキーが盛んである。中学校は岐阜県立飛騨神岡高等学校と連携型中高一貫教育を行っている。
沿革
1978年(昭和53年) - 下之本小中学校と森茂小中学校の統合問題が提起される。このさい、統合校は小・中学校に分離することも提案されたが、後に統合校も小中学校併設とすることになる。
1980年(昭和55年) - 統合校舎の建設地で3つの案(大字下之本の下之本小中学校敷地、大字森茂の山之村診療所の隣接地、大字森茂字多大岩平)が提示されるが、各地区で賛否が起こり紛糾する。最終的には町長判断で、大字森茂字大岩平に決まる。
1982年(昭和57年)
4月1日 - 神岡町立山之村小中学校として開校する。
12月 - 体育館が完成。
2004年(平成16年)2月1日 - 吉城郡古川町、神岡町、河合村、宮川村が合併し飛騨市が発足。同時に飛騨市立山之村小中学校に改称する。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
※明らかに場所以外に関するの内容、特に学校や生徒への批評や意味不明な投稿は削除させていただきます。
例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
※平仮名は必須ではありません。追記する場合はカッコ書きでお願いします。
皆さんが本サイトで思い出を語り合われたことのある先生方です。覚えている恩師の名前がいらっしゃいましたら、登録をお願いします。登録は各卒業生のページにある[名前をクリックいただくと感謝をやお礼の言葉を述べるページへ遷移します。(現在工事中)]
マスコットは本サイトの様々なコンテンツを利用することで成長していきます。
割れるまで何度もクリック!!
<姉妹サイト紹介>
飛騨市立山之村小学校がある
岐阜県飛騨市の地域事情