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沿革
1875年(明治8年)12月5日 - 公立余部小学校創設、浜在・長福寺の一部を借りうけて仮校舎とする。
1882年(明治15年)11月25日 - 新築校舎落成(浜1567番地)。
1887年(明治20年)5月6日 - 余部簡易小学校と改称。
1890年(明治23年)6月 - 美含郡余部尋常小学校と改称。
1913年(大正2年)11月 - 2階建校舎新築。
1914年(大正3年)5月 - 鎧分教場を新築。
1915年(大正4年)10月 - 御崎分教場を新築。
1922年(大正11年)4月1日 - 高等科を併置し、余部尋常高等小学校と改称。
1926年(大正15年)12月 - 浜1775番地へ旧校舎を移動し、新校舎増築。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により余部国民学校と改称。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により余部村立余部小学校と改称。
1948年(昭和23年)4月 - 香住町外一か村組合立香住中学校余部分校併設。
1952年(昭和27年)11月 - 香住中余部分校が余部村立余部中学校となり併設される。
1955年(昭和30年)3月30日 - 町村合併により、香住町立余部小学校と改称。
1956年(昭和31年)4月1日 - 余部中が香住町立香住第一中学校余部分校と改称。町立余部幼稚会(幼稚園の前身)として認可され、小学校に併設される。
1957年(昭和32年)9月4日 - 鎧分校を廃止、同地区の児童は香住小学校へ転校。
1959年(昭和34年)2月24日 - 全校児童が、餘部駅設置用ぐり石運搬を4日間実施する。
4月16日 - 餘部駅開業式及び祝賀会を行う(全校児童は旗行列をして校区を廻る)。
4月18日 - 香住第一中余部分校閉校式を行う。分校生徒は、列車で本校へ通学する。
1967年(昭和42年)3月22日 - 鉄筋3階建て新校舎の竣工式を行う。
1968年(昭和43年)4月1日 - 余部幼稚園が認可され、小学校に併設される。
1973年(昭和48年)4月1日 - 余部幼稚園複式2年保育となる。
1975年(昭和50年)11月3日 - 創立100周年記念式典並びに祝賀会を行う。
1992年(平成4年)3月 - 御崎分校が休校。(1994年4月に再開)
2005年(平成17年)4月 - 市町村合併により、香美町立余部小学校へ改称。
2010年(平成22年)3月 - 御崎分校が休校。(2011年4月に再開)
2021年(令和3年)3月 - 御崎分校が休校。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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香美町立余部小学校がある
兵庫県香美町の地域事情