所在地や連絡先、偏差値等詳しい最新情報を掲載。みなさまから提供いただいた情報も掲載いたします。
卒業年毎の専用ページです。卒業生同志の交流や、同窓会情報、卒業アルバム、クラス名簿など多数のコンテンツがあります。
同窓会の開催情報です。同窓会情報だけでなく、予定が無くてもやりたいという方でも同窓会ホームページを作成できます。
大川内小学校出身の芸能人やスポーツ選手といった有名人、著名人を紹介します。
大川内小学校の評価をいくつかのカテゴリにわけて評価をしています。また皆様からの評判も掲載します。
体育館の舞台裏、教室の落書き、理科室の匂いや実験器具等、学校の様々な場所での思い出を共有しましょう。
大川内小学校出身の卒業生が現在どこで活躍されているか、みなさんのご意見をもとに掲載しています。
在校当時の懐かしい写真や同窓会写真、今の学校の風景など無料で共有することが出来ます。
偏差値情報を掲載しております。 最新のデータはもちろん過去の偏差値情報も掲載しております。偏差値の推移もご覧いただけます。
学校関するみなさまの様々な意見を掲載しております。まだアンケートに参加いただいていない方は是非ご協力ください。
ookawauchisyougakkou
1874年(明治7年)に大川内村内に開校した4校を前身とする。数回の改組・改称を経て、現校名になったのは1954年(昭和29年)。2024年(令和6年)には創立150周年を迎える。校章佐賀藩鍋島家に焼き物をおさめていたで有名な場所だったことから、鍋島家の家紋に校名の「大川内」の文字(縦書き)を配したものとなっている。校歌1954年(昭和29年)に制定。作詞は片岡繁男、作曲は居本喜代による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「大川内」が登場する。通学区域住所表記で伊万里市の後に「岩谷、小石原、市村、市山、大川内山、正力坊、吉田、福野、平尾」が続く地域。中学校区は伊万里市立伊万里中学校。
沿革
前史
慶応より明治初期にかけ、岩谷・平尾・一ノ瀬・大川内山の私塾にて、特定の家庭の子弟に、習字と読書の2教科が教授されていた。
正史
1874年(明治7年)- 村内を4校区に分け、文部省の補助を得て4校を設立。
平尾小学校
一ノ瀬小学校
岩谷小学校
(あと1校不明)
1880年(明治13年)までの間 - 財政的に困窮し、学校の運営がままならない時代があった。
1881年(明治14年)4月 - 戸長心得・川原茂輔等の奔走により、村有林、原野を売却した資金を充て、平尾に「大川内小学校」が創立。
1882年(明治15年)
7月 - 大川内青螺分校を設置。
11月 - 岩谷分校を設置。
1884年(明治17年)- 教育令の施行により、「公立中等大川内小学校」に改称。
1887年(明治20年)- 小学校令の施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常大川内小学校」に改称。
1889年(明治22年)- 町村制の施行により、大川内村立の小学校となる。
1891年(明治24年)- 大川内青螺分校および岩谷分校を廃止。
1892年(明治25年)
小学校令の改正により、校名を「大川内尋常小学校」に改め、平尾から一の瀬に移転。
伊万里町外四カ村組合立伊万里高等小学校(4年制)が設置される。
1894年(明治27年)3月 - 木造新校舎が完成(現・伊万里市大坪公民館敷地)。この時に作られたレンガ造りの校門(赤門)は現在も残っている。
1896年(明治29年)- 青螺尋常小学校を統合の上、青螺分校とする。
1897年(明治30年)- 青螺分校を廃止。
1907年(明治40年)- 小学校令の改正により、義務教育の年限(尋常科の年限)が4年から6年に延長される。これにより、尋常科5・6年が新設される。
1924年(大正3年)4月 - 伊万里高等小学校を運営していた町村組合が解散。これに伴い、高等科を併置し、「大川内尋常高等小学校」に改称。
1832年(昭和7年)4月 - 高等科を廃止し、「大川内尋常小学校」(再)となる。
尋常科を修了し、高等科への進学を希望する者は、伊万里町外二カ村組合立伊万里公民学校に通うこととなった。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「大川内国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年)。
1943年(昭和18年)
4月 - 高等科(2年制)が設置される。
12月 - 大川内村が伊万里町に編入。伊万里町立となる。
1944年(昭和19年)- 北側の丘陵地に新校舎が完成。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)に伴い、国民学校初等科が「伊万里町立大川内小学校」に改組・改称。
1950年(昭和25年)4月1日 - 「伊万里町立南部小学校」に改称。
1952年(昭和27年)- 現在地に移転を完了。
1954年(昭和29年)
4月 - 9町村の対等合併により伊万里市が市制施行。「伊万里市立大川内小学校」(現校名)に改称。
この年 - 校歌を制定。
1876年(昭和51年)- この年開催の若楠国体を機に、ミニホッケーの活動を開始。鉄筋コンクリート造の新校舎が完成。
1979年(昭和54年)- 校地の近くに佐賀県立伊万里養護学校が開校したことにより、交流学習を開始。
1994年(平成6年)- 創立120周年記念事業として、焼き物窯「遊友窯」が設置された。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
※明らかに場所以外に関するの内容、特に学校や生徒への批評や意味不明な投稿は削除させていただきます。
例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
※平仮名は必須ではありません。追記する場合はカッコ書きでお願いします。
皆さんが本サイトで思い出を語り合われたことのある先生方です。覚えている恩師の名前がいらっしゃいましたら、登録をお願いします。登録は各卒業生のページにある[名前をクリックいただくと感謝をやお礼の言葉を述べるページへ遷移します。(現在工事中)]
マスコットは本サイトの様々なコンテンツを利用することで成長していきます。
割れるまで何度もクリック!!
<姉妹サイト紹介>
伊万里市立大川内小学校がある
佐賀県伊万里市の地域事情