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1875年(明治8年)に北松浦郡山口村に開校した「山口小学校」を前身とする。2010年(平成22年)に創立135周年を迎えた。分校高島分校(たかしま)- 〒858-0931 佐世保市高島町336番地(北緯33度9分53.1秒 東経129度35分20.5秒 / 北緯33.164750度 東経129.589028度 / 33.164750; 129.589028 (佐世保市立相浦小学校高島分校))教育目標1. 一人一人を認め、支え合う心豊かな児童の育成2. 基礎基本の確実な定着と向上に励む児童の育成3. 困難なことにも負けないたくましい児童の育成校章八稜鏡と波の絵を組み合わせたものを背景にして、中央に校名の「相浦」の文字(横書き)を置いている。また高島分校の校章は相浦の下に「高」の文字を置いている。校歌作詞は中川龍一、作曲は原格太郎による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「相の浦」が入る。高島分校には分校歌があり、作詞は1984年度(昭和59年度)職員、作曲は山口千景による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「高島」が登場する。校区本校 - 住所表記で佐世保市の後に「上相浦町、木宮町、愛宕町、竹辺町、新田町、小野町(一部)、川下町、母ヶ浦町」が続く地域。中学校は佐世保市立相浦中学校校区。高島分校 - 住所表記で佐世保市の後に「高島町」が続く地域。中学校は本校と同じく佐世保市立相浦中学校校区。
沿革
1875年(明治8年)10月5日 - 北松浦郡山口村字山口の元庄屋跡に「山口小学校」が開校。皆瀬小学校より村尾美二が転任し学校経営にあたる。
1877年(明治10年)7月 - 児童数増加のため、木造2階建て校舎1棟を増築。
1878年(明治11年)12月11日 - 賤津小学校を統合。中里小学校を統合し、中里分校と上本山分校を設置。
1879年(明治12年)
7月6日 - 船越分校を設置。
7月15日 - 俵ヶ浦分校を設置。
11月9日 - 高島分校を設置。
1881年(明治14年)- 中里分校が分離し、中里小学校として独立。上本山分校を廃止。
1883年(明治16年)- 山口村川迎觸字木ノ宮(現・佐世保市役所相浦支所の裏)を「山口村の中央」とし、山口小学校本校の校舎を移転。
1887年(明治20年)
2月 - 小学校令の施行により、「尋常山口小学校」(4年制)に改称。
8月 - 高島分校が分離し、「簡易高島小学校」(3年制)として独立(後に高島尋常小学校に改称)。
1889年(明治22年)
4月1日 - 町村制の施行により、山口村立の小学校となる。
4月7日 - 俵ヶ浦分校が分離し、尋常俵ヶ浦小学校として独立。
1893年(明治26年)
4月 - 高等科(修業年限4年)を併設。
5月 - 「山口尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科4年)に改称。
6月 - 船越分校が分離し、船越尋常小学校として独立。
1897年(明治30年)10月 - 校舎を改築。
1898年(明治31年)2月14日 - 船越尋常小学校・俵ヶ浦尋常小学校・高島尋常小学校の3校を統合し、船越分教場・俵ヶ浦分教場・高島分教場とする。
1903年(明治36年)6月24日 - 船越分教場と俵ヶ浦分教場が再び分離し、船越尋常小学校・俵ヶ浦尋常小学校として独立。
1905年(明治37年)9月11日 - 浅子分教場を設置。
1908年(明治41年)
1月12日 - 増築校舎が完成。
4月1日 - 小学校令の一部改正により、義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長されたことにより、尋常科5年を新設。
1909年(明治42年)
4月1日 - 前年の義務教育期間延長により、尋常科6年を新設。高等科の修業年限を2年とする(尋常科6年・高等科2年)。
5月23日 - 日野分教場を設置。
1910年(明治43年)
4月1日 - 高等科の修業年限を3年とする(尋常科6年・高等科3年)。
5月22日 - 高島分教場を改築。
1914年(大正3年)6月1日 - 児童数の増加により、校舎の収容能力が限界に達したため、尋常科1年生のみ二部授業を実施。
1915年(大正4年)4月22日 - 山口実業補習学校を併設。
1916年(大正5年)5月10日 - 旧・登記所を仮校舎として使用できるようになったため、尋常科1年生の二部授業を終了。
1917年(大正6年)
4月1日 - 高等科の修業年限を2年とする(尋常科6年・高等科2年)。
6月29日 - 校舎を新築し、移転を完了。
12月2日 - 本校校舎落成・相浦港湾埋立竣工式を挙行。
1930年(昭和5年)4月3日 - 山口村が町制施行により相浦町となったため、「相浦尋常高等小学校」に改称(相浦町立となる)。
同時に併設の実業補習学校も「相浦実業補習学校」に改称。
1935年(昭和10年)4月1日 - 青年学校令の施行により、併設の相浦実業補習学校が相浦青年学校に改称。
1938年(昭和13年)4月1日 - 相浦村が佐世保市に編入されたため、佐世保市立の小学校となる。
1941年(昭和16年)
4月1日
国民学校令の施行により、「相浦国民学校」に改称。初等科(6年制)・高等科(2年制)を設置。
日野分教場が分離し、日野国民学校(現・佐世保市立日野小学校)として独立。
浅子分教場が分離し、浅子国民学校(現・佐世保市立浅子小学校)として独立。
1946年(昭和21年)4月1日 - 旧・海軍相浦海兵団兵舎跡に大崎分教場を設置。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
旧・相浦国民学校の初等科が改組され、「佐世保市立相浦小学校」(現校名)が発足。高島分校と大崎分校を設置。
旧・相浦国民学校の高等科と相浦青年学校の普通科が改組され、「佐世保市立相浦中学校」(新制中学校)が発足。
1950年(昭和25年)4月 - 現在地に移転。
1975年(昭和50年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
1979年(昭和54年)- 校舎が完成。
1980年(昭和55年)2月 - 特別校舎が完成。
1984年(昭和59年)4月1日 - 児童数増加のため、新設の佐世保市立相浦西小学校へ約870名の児童が転出。また大崎分校を移管。
1992年(平成4年)3月 - 体育館前が埋め立てられる。
1993年(平成5年)3月 - パソコン室を設置。
2002年(平成14年)3月 - 新体育館が完成。
2006年(平成18年)
4月1日 - 2学期制となる。
6月 - プールが新設される。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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佐世保市立相浦小学校がある
長崎県佐世保市の地域事情