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1940年(昭和15年)創立の「木風尋常小学校」を前身とする。現校名になったのは学制改革が行われた1947年(昭和22年)。2015年(平成27年)に創立75周年を迎えた。校区住所表記で佐世保市の後に「稲荷町、木風町、藤原町」が続く地域。中学校区は佐世保市立山澄中学校、佐世保市立福石中学校。校章鏡と桜の花弁を組み合わせたものを背景にして、中央に「木風」の文字(縦書き)を置いている。校歌作詞は永石三男、作曲は松本民之助による。歌詞は2番まであり、両番に校名の「木風」が登場する。
沿革
1940年(昭和15年)9月 - 福石尋常小学校の児童増加にともない、分離する形で「木風尋常小学校」が創立される。
校区を稲荷町・木風町・藤原町とし、児童数は831名、15学級でのスタート。
日宇尋常小学校の校舎を一部借用。初代校長に湯川虎男が就任。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「佐世保市木風国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
1943年(昭和18年)8月 - 現在地に校舎が完成し移転を完了。この時の児童数は1,180名(23学級)。
1944年(昭和19年)4月 - 児童数の増加により、1・2年生において午前と午後に分けて二部授業を実施。
1945年(昭和20年)
6月29日 - 佐世保空襲により校舎を焼失。民家を借用して分散授業を余儀なくされる。
9月 - 元・日本海軍木風町宿舎を仮校舎として授業を再開。教室はせまく、1学級児童20名として30学級編成とする。
1946年(昭和21年)11月 - 大黒町の元・女子工員宿舎を仮校舎として移転。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われ、「佐世保市立木風小学校」(現校名)となる。
1948年(昭和23年)6月 - 現在地に新校舎が完成し全児童収容を完了。ただし教室不足のため、1・2年生は分散授業を継続。
1949年(昭和24年)4月 - 校舎を増築。
1950年(昭和25年)4月 - 学区改定により、大宮町の1年から3年の児童が転入。
1951年(昭和26年)4月 - 学区改定により、大宮町の4年から6年の児童が転入。wikipediaより
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