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heiseisyougakkou
2019年玉之浦小、玉之浦中と統合し玉之浦小中へ 歴史1990年(平成2年)に、玉之浦町内の小学校3校(七岳・東・大宝)が統合されて「玉之浦町立平成小学校」が開校した。校地と校舎は旧・東小学校のものを使用。2015年(平成27年)に統合25周年を迎える。校章校名の「平」の文字を3つ(統合前の3校を象徴)組み合わせたものを背景にして、中央に「小」の文字を置いている。校歌作詞・作曲ともに川下寅之助による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「平成」が登場する。校区住所表記で五島市玉之浦町の後に「立谷(たちや)、大宝(だいほう)、小川、中須(なかす)、幾久山(いっくやま)、上の平(かみのひら)、布浦(ぬのうら)、荒川、丹奈(たんな)、頓泊(とんとまり)」が続く地区。中学校区は五島市立玉之浦中学校。
沿革
正門(2019年12月6日撮影)。
本校舎および体育館入口(2019年12月6日撮影)。
旧・七岳小学校
丹奈小学校
1875年(明治8年)5月 -「第五大学区 第五中学校 丹奈小学校」が開校。民家を借用し校舎とする。初代校長に松園犬太郎が就任。
1876年(明治9年)2月 - 丹奈郷47番地の民家に校舎を移転。
1882年(明治15年)2月 - 統合により、「公立中等玉之浦小学校 下等丹奈分校」となる。
1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、玉之浦小学校から分離し、「簡易丹奈小学校」として独立。
1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、玉之浦村立の小学校となる。
1891年(明治24年)4月 - 丹奈郷字波戸の元1番地に校舎を改築。
1893年(明治26年)4月 - 尋常科を設置し、「丹奈尋常小学校」に改称。
1900年(明治33年)9月 - 波戸の元に校舎を増築。
1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限が4年から6年に延長され、尋常科5年を設置。
1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
1913年(大正2年)3月 - 丹奈大山神社境内を校地として借用。
1932年(昭和7年)2月 - 丹奈郷焼野原に新校舎が完成。
1933年(昭和8年)11月3日 - 玉之浦村の町制施行により、玉之浦町立の小学校となる。
1934年(昭和9年)3月 - 統合のため閉校。
荒川小学校
1875年(明治8年)5月 - 荒川郷字上の川210番地に「第五大学区 第五中学校 荒川小学校」が開校。初代校長に大山麓が就任。
1882年(明治15年)2月 - 統合により、「公立中等玉之浦小学校 下等荒川分校」となる。
1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、玉之浦小学校から分離し、「簡易荒川小学校」として独立。玉之浦村472番戸に校舎を改築。
1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、玉之浦村立の小学校となる。
1893年(明治26年)4月 - 尋常科を設置し、「荒川尋常小学校」に改称。
1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限が4年から6年に延長され、尋常科5年を設置。
1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
1913年(大正2年)5月 - 校舎敷地として荒子海面を埋め立てる。
1914年(大正3年)10月 - 校舎を新築。
1922年(大正11年)
1月 - 校舎を増築。
4月 - 高等科を併置し、「荒川尋常高等小学校」に改称。
1933年(昭和8年)11月3日 - 玉之浦村の町制施行により、玉之浦町立の小学校となる。
1934年(昭和9年)3月 - 統合のため閉校。
統合
1934年(昭和9年)3月 - 丹奈尋常小学校と荒川尋常高等小学校の2校が統合され「玉之浦第二尋常高等小学校」となる。
丹奈校舎に4学級、荒川校舎に3学級を設置し、複式の授業を継続。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「玉之浦町第二国民学校」に改称。尋常科を初等科に改め、初等科6年・高等科2年とする。
1947年(昭和22年)
4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
旧・玉之浦町第二国民学校の初等科が改組され、「玉之浦町立玉之浦第二小学校」となる。
旧・玉之浦町第二国民学校の高等科が改組され、玉之浦町立玉之浦第二中学校(新制中学校)となり、小学校に併設される。
1948年(昭和23年)11月 - 従来の丹奈・荒川の2校舎体制を廃止し、統合校舎を荒川郷874番地(現・養護たちばな荘の敷地)に設置。
1951年(昭和26年)
4月1日 - 「玉之浦町立七岳小学校」(七岳中学校を併設)に改称。
7月4日 - 中学校の校舎が完成。
1961年(昭和36年)3月15日 - へき地集会所が完成。
1967年(昭和42年)5月 - 校旗を制定。
1968年(昭和43年)11月3日 - 運動場に老人ホームが着工。
1969年(昭和44年)
7月25日 - 荒川郷876番地に鉄筋コンクリート造2階建ての校舎が完成し、小学校が移転。
9月6日 - 木造の校舎が完成し、中学校が移転。
1970年(昭和45年)11月 - へき地集会室・観察池が完成。
1973年(昭和48年)3月30日 - 岩石園が完成。
1975年(昭和50年)11月13日 - 創立100周年を迎える。
1987年(昭和62年)8月30日 - 台風12号の被害を受ける。
1988年(昭和63年)4月1日 - 小学校が完全複式(3学級)となる。
1990年(平成2年)3月31日 - 統合のため閉校。115年の歴史に幕を下ろす。
旧・東小学校
中川小学校
1875年(明治8年)11月 - 「第五大学区 第五中学校 中川小学校」が開校。当初民家を仮校舎とする。初代校長に浦勢吉が就任。
1882年(明治15年)2月 - 統合により、「公立中等玉之浦小学校 下等中川分校」となる。
1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、玉之浦小学校から分離し、「簡易中川小学校」として独立。玉之浦村472番戸に校舎を改築。
1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、玉之浦村立の小学校となる。
1893年(明治26年)4月 - 尋常科を設置し、「中須尋常小学校」に改称。小川郷に分教場を設置。
1901年(明治34年)3月 - 中須尋常小学校と小川分教場を統合し、「中川尋常小学校」に改称。
1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限が4年から6年に延長され、尋常科5年を設置。
1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
1910年(明治43年)- 義務教育年限の延長により児童が増加したため、校舎を増築。
1911年(明治44年)7月 - 実業補習学校を併設。
1919年(大正8年)3月 - 校地を拡張し、校舎を新築。
1926年(大正15年)3月 - 高等科を併置し、「中川尋常高等小学校」に改称。当時の児童数は尋常科132名・高等科26名
1932年(昭和7年)1月 - 校地を拡張し、2教室を新築。
1933年(昭和8年)11月3日 - 玉之浦村の町制施行により、玉之浦町立の小学校となる。
1934年(昭和9年)3月 - 統合のため閉校。
幾久山小学校
1878年(明治11年)8月 - 幾久山下里に「幾久山小学校」が開校。初代校長に木戸守之が就任。
1882年(明治15年)2月 - 統合により、「公立中等玉之浦小学校 下等幾久山分校」となる。
1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、玉之浦小学校から分離し、「簡易幾久山小学校」として独立。
1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、玉之浦村立の小学校となる。
1893年(明治26年)4月 - 尋常科を設置し、「幾久山尋常小学校」に改称。
1901年(明治34年)5月 - 幾久山上里に校舎を改築。
1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限が4年から6年に延長され、尋常科5年を設置。
1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
1911年(明治44年)7月 - 実業補習学校を併設。
1929年(昭和4年)4月 - 高等科を併置し、「幾久山尋常高等小学校」に改称。
1933年(昭和8年)11月3日 - 玉之浦村の町制施行により、玉之浦町立の小学校となる。
1934年(昭和9年)3月 - 統合のため閉校。
統合
1934年(昭和9年)3月 - 中川尋常高等小学校と幾久山尋常高等小学校の2校が統合され「玉之浦第三尋常高等小学校」となる。
8学級編成とし、当時の児童数は尋常科277名、高等科62名。
実業補習学校も統合され、青年訓練認定玉之浦第三実業補習学校となる。
1935年(昭和10年)6月 - 青年学校令の施行により、併設の実業補習学校が「玉之浦第三青年学校」に改称。
1937年(昭和12年)
5月 - 旧校舎を解体。
9月 - 新校舎で授業を開始。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「玉之浦町第三国民学校」に改称。尋常科を初等科に改め、初等科6年・高等科2年とする。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
旧・玉之浦町第三国民学校の初等科が改組され、「玉之浦町立玉之浦第三小学校」となる。
旧・玉之浦町第三国民学校の高等科が改組され、玉之浦町立玉之浦第三中学校(新制中学校)となり、小学校に併設される。
1951年(昭和26年)
4月1日 - 「玉之浦町立東小学校」(東中学校を併設)に改称。
12月 - 中学校2教室が完成。
1952年(昭和27年)- 運動場を拡張。
1975年(昭和50年)9月 - 創立100周年記念式典を挙行。記念碑中央部にタイムカプセルを埋め、50年後に開くこととする。
1981年(昭和56年)
4月 - 2・3年の複式学級を設置。
10月29日 - 小学校5教室と付属施設を焼失。
1990年(平成2年)3月31日 - 統合のため閉校。115年の歴史に幕を下ろす。校地と校舎は新設の平成小学校に継承される。
旧・大宝小学校
1875年(明治8年)5月28日 - 「第五大学区 第五中学区 大宝小学校」が開校。
当時校舎はなく、大宝寺殿広間を使用。後に大宝郷字前田(現・大宝簡易郵便局)に移転。初代校長に久保泰蔵が就任。
1882年(明治15年)2月 - 統合により、「公立中等玉之浦小学校 下等大宝分校」となる。
1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、玉之浦小学校から分離し、「簡易大宝小学校」として独立。
1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、玉之浦村立の小学校となる。
1893年(明治26年)4月 - 尋常科を設置し、「大宝尋常小学校」に改称。
1897年(明治30年)8月 - 校舎を改築。
1908年(明治41年)4月 - 大宝郷堤に校舎が完成し、移転を完了。小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の年限)が4年から6年に延長され、尋常科5年を設置。
1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
1924年(大正13年)4月 - 複式3学級編成とする。
1926年(大正15年)2月11日 - 新校舎1棟が完成。運動場を拡張。
1928年(昭和3年)4月 - 高等科を併置し、「大宝尋常高等小学校」に改称。
1933年(昭和8年)11月3日 - 玉之浦村の町制施行により、玉之浦町立の小学校となる。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「玉之浦町大宝国民学校」に改称。尋常科を初等科に改め、初等科6年・高等科2年とする。
1942年(昭和17年)4月 - 複式を解消し、単式8学級編成とする。
1943年(昭和18年)1月 - 4教室を増築。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
旧・玉之浦町大宝国民学校の初等科が改組され、「玉之浦町立大宝小学校」となる。
旧・玉之浦町大宝国民学校の高等科が改組され、玉之浦町立大宝中学校(新制中学校)となり、小学校に併設される。
教室不足のため、中学1年は神社、中学2年は公民館を借用して授業を行う。
1952年(昭和27年)6月 - 中学校2教室が完成したため、神社と公民館の仮校舎使用を終了。
1963年(昭和38年)7月27日 - ミルク給食を開始。
1965年(昭和40年)3月 - へき地集会所が完成。
1967年(昭和42年)4月 - 小学校校舎が完成。
1975年(昭和50年)5月28日 - 創立100周年記念式典を挙行。
1986年(昭和61年)6月17日 - 校旗を制定。
1990年(平成2年)3月31日 - 統合のため閉校。115年の歴史に幕を下ろす。
統合・平成小学校
1990年(平成2年)4月1日 - 上記3校が統合され、旧・東小学校の校地に「玉之浦町立平成小学校」が開校。初代校長に岩永和夫が就任。
1991年(平成3年)3月14日 - 校歌を制定。
1992年(平成4年)8月 - スクールバスの運行を開始。
1993年(平成5年)
1月20日 - 校旗を制定。
3月24日 - 新体育館が完成。
2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併により「五島市立平成小学校」(現校名)に改称。
2019年(平成31年)
3月22日 - 午前、最後の学校行事となる修了式挙行。
3月31日 - 五島市立玉之浦小学校への統合により、閉校。
なお、統合後の校舎は五島市立玉之浦中学校(旧・五島市立平成中学校校舎)に併設。平成の初めに開校した本校は、平成の終わりにその幕を下ろした。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
※明らかに場所以外に関するの内容、特に学校や生徒への批評や意味不明な投稿は削除させていただきます。
例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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