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kishikusyougakkou
1874年(明治7年)創立。2014年(平成26年)に創立140周年を迎えた。校訓「自立・創造」学校教育目標「自ら学び、心を動かし、体を鍛え、生きる力の基礎を築く児童の育成」校章左右の稲穂の根元をリボンで結んだものを背景にして、中央に校名の「岐宿」の文字(縦書き)を置いている。校歌歌詞は2番まであり、1番に校名の「岐宿校」が登場する。校区住所表記で五島市岐宿町の後に「岐宿、楠原、河務、唐船ノ浦、戸岐ノ首」が続く地区。中学校区は五島市立岐宿中学校。
沿革
前史
1871年(明治4年)- 廃藩置県に福江県に属することとなる。間もなく福江県は長崎県に統合される。
1872年(明治5年)8月 - 学制が頒布される。
正史
1874年(明治7年)9月10日 - 金福寺を仮校舎として「第五大学区 第五中学区岐宿小学校」が開校。初代校長に貞方貫之助が就任。
1876年(明治9年)- 江湖の辻に校舎が完成し移転。
1878年(明治11年)- 郡制の実施により、松浦郡が4分割され、五島列島部分(宇久・小値賀を除く)は南松浦郡に属することとなる。
12月24日 - 学区改正により、「岐宿部 岐宿小学校」に改称。
1880年(明治13年)- 教育令の施行により「岐宿学区 公立下等岐宿小学校」に改称。
1882年(明治15年)- 中等科を設置し「岐宿学区 公立中等岐宿小学校」に改称。
この年 - 暴風により校舎が倒壊し、厳立神社を仮校舎として授業を再開。
1883年(明治16年)- 新校舎が完成。
1886年(明治19年)9月 - 小学校令が施行され、「尋常岐宿小学校」となる。修業年限を4年とする。福江村に長崎県第十八高等小学校が設置される。
1899年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、岐宿村立の小学校となる。
この年 - 姫島と唐船之浦(とうせんのうら)にそれぞれ分校を設置。
1893年(明治26年)
7月 - 長崎県第十八高等小学校が廃止され、隣村と組合を結成し高等小学校を設置。
4月 - 小学校令の改正により「岐宿尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
1898年(明治31年)4月 - 高等小学校の組合を解消し、高等科を併置の上「岐宿尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科4年)。
1901年(明治34年) - 校舎を新築。
1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
修業年限が尋常科4年・高等科4年から「尋常科6年・高等科2年」に変更となる。
旧高等科1年を尋常科5年に、旧高等科2年を尋常科6年に、旧高等科3年を高等科2年に、旧高等科4年を高等科2年に振り替える。
1913年(大正2年)- 岐宿実業補習学校を併設。
1915年(大正4年)- 校舎を増築。
1918年(大正7年)- 唐船之浦分教場がへき地に指定される。校舎を増築し、二部授業を解消。この年の児童数は497名。
1935年(昭和10年)- 青年学校令により、併設の岐宿実業補習学校が「岐宿青年学校」に改称。
1937年(昭和12年)- 岐宿村内の青年学校が統合され、岐宿青年学校として楠原に移転。小学校との併設を解消。
1941年(昭和16年)
4月1日 - 国民学校令の施行により、「岐宿第一国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
4月3日 - 岐宿町の発足により、岐宿町立の学校となる。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
国民学校の初等科が改組され、「岐宿町立岐宿小学校」となる。
国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、新制中学校「岐宿町立岐宿中学校」が発足。当初小学校に併設される。
1954年(昭和29年)4月1日 - 唐船之浦分校が分離し、「岐宿町立旭小学校」として独立。
1959年(昭和34年)4月1日 - 校区改定により東楠原の一部の児童が川原小学校から転入。児童数が最大の586名を記録。
この年 - 小中へき地集会所(体育館)が完成。
1961年(昭和36年)- 鼓笛隊を結成。
1963年(昭和38年)- ミルク給食を開始。
1964年(昭和39年)- 鉄筋コンクリート造校舎(第一期工事)が完成。4・5・6年生が新校舎での授業を開始。
1965年(昭和40年)- 鉄筋コンクリート造校舎(第二期工事)が完了。1・2・3年生が新校舎での授業を開始。特殊学級を開設。
1966年(昭和41年)- 鉄筋コンクリート造校舎(第三期工事)が完了。
1967年(昭和42年)- 給食調理室が完成。学校前に簡易交通信号機を設置。
3月31日 - 姫島分校を休校とする。
1969年(昭和44年)3月31日 - 休校中の姫島分校(北緯32度48分22.3秒 東経128度40分41.8秒 / 北緯32.806194度 東経128.678278度 / 32.806194; 128.678278 (旧・岐宿町立岐宿小学校 姫島分校))を廃止。
1974年(昭和49年)- 創立100周年記念式典を挙行。
1975年(昭和50年)4月1日 - 校区改定により東楠原全域の児童が川原小学校から転入。
1977年(昭和52年)4月1日 - 岐宿町立中学校3校の統合により、岐宿中学校との併設を解消。中学校校舎を解体。
1984年(昭和59年)4月1日 - 岐宿町立旭小学校を統合し、旭分校とする。
1986年(昭和61年)4月1日 - 旭分校を休校とする。
1987年(昭和62年)- 完全給食を開始。
1990年(平成2年)- 江湖の子農園が開園。
1991年(平成3年)- 台風により被害を受ける。
1993年(平成5年)- 長崎市立磨屋小学校とふれあい交流学習を実施。
1994年(平成6年)- 創立120周年を記念してブロンズ像「巣立ち」が完成。水洗トイレ工事が完了。
1998年(平成10年)4月1日 - 特殊学級を設置。
1999年(平成11年)- パソコンを設置。
2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併で五島市が発足したことにより、「五島市立岐宿小学校」(現校名)へ改称。
2011年(平成23年)3月31日 - 休校中であった旭分校(唐船ノ浦483番地、地図)を廃止。
2017年(平成29年)
2月25日 - 閉校記念式典を挙行。
4月1日 - 岐宿地区の小学校3校(岐宿・川原・山内)が統合された。校地と校舎は楠原に新設される。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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五島市立岐宿小学校がある
長崎県五島市の地域事情