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2022年豊玉小へ統合 歴史1971年(昭和46年)に当時の豊玉村にあった小学校2校を統合して開校した。2011年(平成23年)に創立40周年を迎えた。2022年(令和4年)3月末をもって閉校し、50年の歴史に幕を下ろした。校章中央に校名の「南小」の文字(縦書き)を置く。校歌作詞は安田矯助、作曲は竹島勉による。歌詞は3番まであり、各番とも校名の「わが南」で終わる。校区住所表記で対馬市豊玉町の後に「貝口(かいぐち)、東加藤(ひがしかとう)、水崎(みずさき)、加志々(かしし)、唐洲(からす)、廻(まわり)」が続く地区。中学校区は対馬市立豊玉中学校。
沿革
旧・唐洲小学校(からす)
1874年(明治7年)
6月1日 - 「第五大学区第四中学区(大船越学区)唐洲小学校」、「第五大学区第四中学区貝口小学校」の開校が文部省によって正式に認可される。
8月 - 「第五大学区第四中学区廻小学校」が開校。
1875年(明治8年)3月4日 - 以上3学校が第五大学区第四中学区仁位小学校の分校となる。「唐洲分校」、「貝口分校」、「廻分校」
1882年(明治15年)- 「仁位学区公立中等仁位小学校下等唐洲分校」、「下等貝口分校」、「下等廻分校」に改称。
1886年(明治19年)- 小学校令により、中等科・初等科を廃止の上、簡易科を設置し、「卯麦学区学区簡易唐洲小学校」、「簡易貝口小学校」、「簡易廻小学校」に改称。
1891年(明治24年)9月1日 - 尋常科(修業年限4ヶ年)を設置の上、「卯麦学区尋常唐洲小学校」、「尋常貝口小学校」、「尋常廻小学校」に改称。教育勅語を下賜。
1893年(明治26年)4月1日 - 校名を「唐洲尋常小学校」、「貝口尋常小学校」、「廻尋常小学校」に改称(「尋常」の位置を変更)。
1895年(明治28年)- 補習科を併置。
1901年(明治34年)4月 - 貝口尋常小学校が廻尋常小学校に統合され、廻尋常小学校貝口分教場となる。
1902年(明治35年)11月 - 廻尋常小学校に農業補習学校を併置。
1903年(明治36年)3月 - 補習科を廃止。
1907年(明治40年)7月 - 貝口分教場が廻尋常小学校から分離し、「貝口尋常小学校」(再)として独立。
1908年(明治41年)4月 - 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年まで延長。これに伴い、尋常科5年を設置。下県郡奴加岳村が発足し、その所管となる。
1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
1915年(大正4年)4月 - 貝口尋常小学校に農業補習学校を併置。
1916年(大正5年)
4月 - 廻尋常小学校と貝口尋常小学校を唐洲尋常小学校に統合し、廻分教場・貝口分教場とする。
6月 - 唐洲農業補習学校を併置。(後に青年訓練認定となる)
1917年(大正6年)
3月 - 廻分教場を廃止。
4月 - 高等科を併置し、「唐洲尋常高等小学校」に改称。
11月 - 新校舎へ移転。
1935年(昭和10年)10月 - 校舎を増築。
1939年(昭和14年)6月1日 - 青年学校令により、併置の青年訓練認定唐洲農業補習学校が唐洲青年学校に改称。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「奴加岳村立唐洲国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称(初等科6年・高等科2年)。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
旧・唐洲国民学校の初等科が改組され、「奴加岳村立唐洲小学校」となる。
旧・唐洲国民学校の高等科および旧・唐洲青年学校が改組され、奴加岳村立唐洲中学校となり小学校に併設。小学校と旧青年学校を仮校舎として使用。
1955年(昭和30年)3月20日 - 仁位村と奴加岳村の合併により豊玉村が発足。これに伴い、「豊玉村立唐洲小学校」に改称。
1957年(昭和32年)4月1日 - 豊玉村立唐洲中学校が移転の上、豊玉村立加志々中学校として独立したため、併設を解消し単独校となる。
1963年(昭和38年)3月28日 - へき地集会所(講堂)が完成。
1965年(昭和40年)4月10日 - 給食室が完成。
1966年(昭和41年)4月1日 - 1教室を増築。
1971年(昭和46年)3月31日 - 統合のため閉校。
旧・加藤小学校(かとう)
1918年(大正7年)5月 - 「嵯峨尋常小学校加藤分教場」として開校。
1921年(大正10年)5月 - 「嵯峨尋常高等小学校加藤分教場」に改称。
1925年(大正14年)3月 - 校舎を改築。同運動場を拡張。
1935年(昭和10年)5月 - 運動場を拡張。
1938年(昭和13年)7月 - 加藤分教場の校舎を増築。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「仁位村立嵯峨国民学校加藤分教場」に改称。尋常科を初等科に改称。
1944年(昭和19年)3月 - 嵯峨国民学校から分離の上、「仁位村立加藤国民学校」として独立。
1947年(昭和22年)4月1日
学制改革(六・三制の実施)により、旧・加藤国民学校の初等科が改組され、「仁位村立加藤小学校」となる。
仁位村立唐洲小学校より小学5・6年生の依託を受ける。
1955年(昭和30年)
3月20日 - 仁位村と奴加岳村の合併により豊玉村が発足。これに伴い、「豊玉村立加藤小学校」に改称。
7月 - へき地集会所(講堂)が完成。
1965年(昭和40年)
3月 - 運動場を拡張。
4月 - 給食室が完成し、ミルク給食を開始。
1971年(昭和46年)3月31日 - 統合のため閉校。
南小学校
1971年(昭和46年)4月1日 - 豊玉村立小学校2校(唐洲・加藤)を統合し、「豊玉村立南小学校」が開校。
1972年(昭和47年)
4月10日 - 新校舎が完成。
5月 - 豊玉村立学校給食南部調理場が設置される。
12月 - へき地集会所(講堂)が完成。
1975年(昭和50年)
2月 - 校歌・校章を制定。
4月1日 - 豊玉村の町制施行により、「豊玉町立南小学校」に改称。
1978年(昭和53年)5月1日 - 自家用水道が完成。
1981年(昭和56年)3月24日 - 校庭にツツジ31本を植樹。
1982年(昭和57年)2月25日 - 運動場に桜40本を植樹。
2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の発足に伴い、「対馬市立南小学校」(現校名)となる。
2011年(平成23年)4月1日 - 対馬市立加志々中学校の閉校により、中学校区が対馬市立豊玉中学校となる。
2012年(平成24年)4月1日 - 唐洲331番地から423番地(旧・対馬市立加志々中学校の校舎)へ移転。
2022年(令和4年)
3月5日 - 閉校式を挙行。
3月31日 - 対馬市立豊玉小学校への統合により、閉校。wikipediaより
例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
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例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
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対馬市立南小学校がある
長崎県対馬市の地域事情