対馬市立比田勝小学校

長崎県対馬市にあるの比田勝小学校(ひたかつしょうがっこう)のページです。
ここは対馬市立比田勝小学校出身の方に関するサービスを提供しています。昔懐かしい仲間と再会できる卒業生専用ページ、同窓会の呼びかけや開催に便利な同窓会専用ページなどを利用できます。特に同窓会ページは作成しておくと同級生が見つけてくれて再会できるかもしれません。対馬市立比田勝小学校で同窓会を行う場合には是非ご利用ください。

比田勝小学校への想いを教えてください

0
親友が出来た
0
良い思い出がある
0
貴重な学びがあった
0
母校への愛情がある

対馬市立比田勝小学校詳細情報

正式名称

対馬市立比田勝小学校

読み方

ひたかつしょうがっこう

hitakatsusyougakkou

都道府県

長崎県

公私

公立

設立

対馬市立

創立~閉校年

不明~

創立記念日

不明

ホームページ

無し

愛称 愛称

在校生が普段から使っていた比田勝小学校の呼び名。

あなたが通ってた当時の呼び方をおしえてください。

関連サイト

関連サイトの情報提供をしていただける方はこちらからお願いします。
※比田勝小学校の裏サイトをご存知の方も登録ください。裏サイトを公開することで学校裏サイトが裏サイトではなくすことも可能です。
裏サイトとは

あなたがご存じの関連サイトををおしえてください。

その他・備考

1874年(明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区佐須奈小学校比田勝分校」を前身とする。2009年(平成21年)に創立135周年を迎えた。校区住所表記で対馬市上対馬町の後に「河内(かわち)、大浦(おおうら)、泉(いずみ)、西泊(にしどまり)、古里(ふるさと)、比田勝(ひたかつ)、網代(あじろ)、富浦(とようら)、津和(つわ)、唐舟志(とうじゅうし)、浜久須(はまぐす)、玖須(くす)、大増(おおます)、舟志(しゅうし)、五根緒(ごねお)」が続く地区。中学校区は対馬市立比田勝中学校

沿革

1874年(明治7年)- 「第五大学区第四中学区佐須奈小学校比田勝分校」が開校。
1882年(明治15年)- 「佐須奈学区公立中等佐須奈小学校比田勝分校」に改称。
1886年(明治19年)- 小学校令により、「鰐浦学区簡易比田勝小学校」に改称。
1891年(明治24年)-「比田勝学区尋常比田勝小学校」に改称。後に「比田勝尋常小学校」となる。
1900年(明治33年)- 高等科を併置し、「比田勝尋常高等小学校」となる。(尋常科4ヶ年(義務教育)、高等科4ヶ年)
1908年(明治41年)- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。(尋常科6ヶ年(義務教育)、高等科2ヶ年)
1911年(明治44年)- 高等科3年を設置。(尋常科6ヶ年(義務教育)、高等科3ヶ年)
1913年(大正2年)- 校舎を新築。
1917年(大正6年)- 比田勝農業補習学校を併設。
1919年(大正8年)- 津和尋常小学校を統合し、津和分教場とする。
1920年(大正9年)- 大浦尋常小学校を統合。
1921年(大正10年)- 豊尋常高等小学校より泉地区が校区移管される。
1935年(昭和10年)4月1日 - 青年学校令により、併設の比田勝農業補習学校を比田勝青年学校に改称。
1941年(昭和16年)4月1日
国民学校令により、「豊崎村第一比田勝国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称(初等科6年、高等科3年)。
浜玖須尋常小学校を統合し、浜玖須分校とする。
1942年(昭和17年)4月1日 - 「豊崎村国民学校」に改称。第二国民学校を統合し、豊分校とする。津和分教場を津和分校とする。併設の青年学校が豊崎村青年学校に改称。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
旧・豊崎国民学校の初等科が改組され、「豊崎村立比田勝小学校」となる。豊分校が分離し、豊崎村立豊小学校として独立。
旧・豊崎村国民学校の高等科と旧・豊崎村青年学校が改組され、豊崎村立比田勝中学校(新制中学校)となる。旧・豊崎青年学校校舎を仮校舎として使用。
1948年(昭和23年)
4月1日 - 浜玖須分校が分離し、豊崎村立浜玖須小学校として独立。
12月1日 - 町制施行により、「豊崎町立比田勝小学校」に改称。
1955年(昭和30年)1月1日 - 上対馬町の発足により、「上対馬町立比田勝小学校」に改称。
1961年(昭和36年)- 新校舎が完成。
1968年(昭和43年)4月1日 - 上対馬町立浜玖須小学校を統合。
1972年(昭和47年)- 体育館が完成。
1976年(昭和51年)4月1日 - 津和分校を統合。
1988年(昭和63年)4月1日 - 上対馬町立舟志小学校(しゅうし)を統合。
2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の発足に伴い、「対馬市立比田勝小学校」(現校名)となる。
旧・浜玖須小学校(はまぐす)
浜玖須小学校跡(北緯34度37分32.1秒 東経129度26分33.0秒 / 北緯34.625583度 東経129.442500度 / 34.625583; 129.442500 (旧・浜玖須小学校))(そばのバス停留所名が「旧学校前」)
1874年(明治7年)- 「第五大学区第四中学区佐須奈小学校玖須分校」として玖須村観音寺に開校。
1882年(明治15年)- 「佐須奈学区公立中等佐須奈小学校浜玖須分校」に改称。
1886年(明治19年)- 小学校令により、「鰐浦学区簡易浜玖須小学校」に改称。
1891年(明治24年)- 簡易大増小学校を合併し、「比田勝学区尋常浜玖須小学校」に改称。簡易唐舟志小学校を統合し、唐舟志分教場とする。
後に「浜玖須尋常小学校」と改称し、補習科(修業年限3ヶ年)を併置。
1908年(明治41年)- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長されたことにより、併置の補習科を廃止。
1911年(明治44年)- 唐舟志分校が津和浜に移転し、富浦尋常小学校を統合の上、津和分教場に改称。
1912年(大正元年)- 津和分教場が分離し、津和尋常小学校として独立。
1941年(昭和16年)4月1日 - 統合により、「豊崎第一比田勝国民学校 浜玖須分校」となる。
1942年(昭和17年)4月1日 - 「豊崎村国民学校 浜玖須分校」に改称。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、「豊崎村立比田勝小学校浜玖須分校」に改称。
1948年(昭和23年)4月1日 - 豊崎村立比田勝小学校より分離し、「豊崎村立浜玖須小学校」として独立。
1953年(昭和28年)- 大増に校舎を建設し移転。
1955年(昭和30年)1月1日 - 上対馬町の発足により、「上対馬町立浜玖須小学校」に改称。
1968年(昭和43年)3月31日 - 閉校。
旧・舟志小学校(しゅうし)
舟志小学校・中学校跡(現・舟志の森自然学校)
最終所在地 - 対馬市上対馬町舟志甲824番地(北緯34度36分24.2秒 東経129度25分44.7秒 / 北緯34.606722度 東経129.429083度 / 34.606722; 129.429083 (旧・舟志小学校))
1874年(明治7年)- 「第五大学区第四中学区佐須奈小学校舟志分校」として開校。
1882年(明治15年)- 「佐須奈学区公立中等佐須奈小学校舟志分校」に改称。
1887年(明治20年)- 小学校令により、「琴学区簡易舟志小学校」に改称。
1891年(明治24年)-「琴学区尋常舟志小学校」に改称。簡易五根緒小学校を統合し、五根緒分教場とする。後に「舟志尋常小学校」と改称。
1908年(明治41年)- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長。
1910年(明治43年)- 五根緒分教場が分離し、五根緒尋常小学校として独立。
1915年(大正4年)- 高等科を併置し、「舟志尋常高等小学校」に改称。
1919年(大正8年)- 五根緒尋常小学校を統合し、再び五根緒分教場とする。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により「舟志国民学校」となる。尋常科を初等科に改称。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
旧・国民学校の初等科が改組され、「琴村立舟志小学校」となる。
旧・国民学校の高等科が改組され、琴村立舟志中学校となり、小学校に併設される。
1949年(昭和24年)- 中学校校舎が完成。
1955年(昭和30年)1月1日 - 上対馬町の発足により、「上対馬町立舟志小学校」に改称。
1963年(昭和38年)- 新校舎が完成。
1964年(昭和39年)- へき地集会所(講堂)が完成。
1971年(昭和46年)4月1日 - 五根緒分校を統合。
1981年(昭和56年)4月1日 - 上対馬町立比田勝中学校への統合で上対馬町立舟志中学校が廃止。併設を解消し、小学校単独となる。
1988年(昭和63年)3月31日 - 閉校。舟志小学校の跡地は2012年(平成24年)現在、「舟志の森自然学校」として活用されている。

wikipediaより

お知らせの募集

本ページにお知らせや学校情報を掲載したい学校関係者の方はこちら>>

※本サイトでのお知らせ掲載は無料です。ただし適切な内容と判断したものに限ります。
画像 対馬市立比田勝小学校のイメージ
学校の画像を投稿できます。
(GIF, JPEG, PNGのみ対応)

※本ページの誤りや不足情報を教えていただけると助かります!

評判・評価 比田勝小学校の評判・評価

比田勝小学校を5段階で評価しています。詳細ページでは勉強方針、生活指導、友達関係、設備施設、地域環境といったカテゴリごとの詳しく評価を見ることが出来ます。 比田勝小学校の評判はこちらから参照いただけます。
まだ評価されていません。

いまいち1:

 

0

普通2:

 

0

まぁまぁ3:

 

0

良い4:

 

0

素晴らしい5:

 

0

※☆2が「普通」の学校です。

記憶の部屋 比田勝小学校記憶

こちらでは体育館、校庭、屋上、音楽室、保健室といった特定の場所での懐かしい思い出やうわさ話を共有するページです。そこにあった物、風景、匂い、はたまたうわさ話や実際にあった事件などみなさまが在校時に有ったことやうわさ話など教えてください。噂話の真相を聞いてみるのもいいかもしれません。

体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上 理科室 飼育小屋 図工室 給食 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録 感謝 謝罪 告白

クラブ 比田勝小学校のクラブ活動

偏差値 比田勝小学校の偏差値

48.6(長崎県)
※比田勝小学校の偏差値データが無いためここでは長崎県の小学校を表示しています。
長崎県の小学校の偏差値はそれほどいいとは言えません。

偏差値アンケート

比田勝小学校の偏差値を記憶されている方は是非教えてください。
年卒業生入学時の偏差値は 程度だったと思う。
  • 【注釈】
  • 平成31年卒業生(履歴書の卒業年)
  • 2018(平成30)年度卒業生
  • 今年で18歳(早生まれ17歳)の卒業生
  • 2006(平成18)年生まれの卒業生
  • 2007(平成19)年早生まれの卒業生

アンケート

Q 卒業生が巣立った都道府県を調べています。よかったらあなたの現在の居住先を教えてください?
Q どんな所にありましたか?

 (最大1,000文字)

例)緑豊かな場所にあり幼少期を過ごすにはとても良いところでした
・都心部にあり交通の便が良く通いやすかった
・海の近くにあり潮風が心地よい環境でした
※明らかに場所以外に関するの内容、特に学校や生徒への批評や意味不明な投稿は削除させていただきます。

Q みなさんが呼んでいました学校の愛称や呼び方を教えてください

例)東京第一小学校の場合
・一小(いちしょう)
・東一(とういち) 等
※平仮名は必須ではありません。追記する場合はカッコ書きでお願いします。

Q 対馬市立比田勝小学校について記載しているブログ等ご紹介ください。
校舎の風景や学校生活の話など学校に関する記事やブログ等みなさんに紹介したいサイトを教えてください。

比田勝小学校の先生一覧

皆さんが本サイトで思い出を語り合われたことのある先生方です。覚えている恩師の名前がいらっしゃいましたら、登録をお願いします。登録は各卒業生のページにある[名前をクリックいただくと感謝をやお礼の言葉を述べるページへ遷移します。(現在工事中)]

比田勝小学校のマスコット

比田勝小学校のマスコット 比田勝小学校のステータス
マスコットの状態
みんなのマスコットとして生まれてまもないです。今まで一人でずっとさみしいしい思いをしていましたが、ここ最近は少しずつではありますが卒業生がいらしてくれたことが一番嬉しいといっています。「昔の同級生に会ってみたい」と思ってくれる人が僅かでもいることにも生きがいを感じているようです。少しずつですがこの学校へ愛情に示してくれている人がいることにも愛しさを感じてきたようです。

マスコットは本サイトの様々なコンテンツを利用することで成長していきます。

マスコットの育て方

母校愛レベル

母校愛たまご

割れるまで何度もクリック!!

学校レベル:3
ポイント:5
学校への愛を示したい方はマスコットページある卵をクリックしてください。出た数字だけポイントがたまり、たくさんたまると学校レベルが上がります。
※卵は1日1回割ることができます。

なまえさあち 相性一括診断紹介

<姉妹サイト紹介>

クラスメイト全員と相性診断してみませんか?
名前を入力するだけで無料でクラス全員のお互いの相性を一括診断します。憧れのあの子とあなた、気になるあの子との相性は?是非お試しください。
「なまえさあち ~ 一括相性診断」

対馬市立比田勝小学校がある

長崎県対馬市の地域事情

「アジアに発信する歴史海道都市 対馬 !(おっ)な島です。対馬」の対馬市(つしまし)は、かすまき・地酒・若田硯(わかたすずり)・椎茸・天然塩(浜御塩)・真珠・はちみつ・海産物等が有名なところです。対馬市のホームページ等にも小学校事情がいろいろと記載されていますので詳しいことが知りたい方は調べてみてください。

対馬市のホームページはこちら


地域応援サイト じゅうしょさあち 対馬市のページ

ページの先頭へ