・在籍していた昭和40年代のことですが、校舎は当時の産業社宅と日鉄社宅の中間の小高い丘の上にあり、校舎があった丘の南側を後藤寺線が通っていました。自宅があった日鉄社宅からは1キロ程度で福岡に引っ越した四年生の時まで毎日歩いて通学していました。校舎が丘の上でグランドは校舎から少し下がった東側にあったため、北東方向の富士山型の三連山である香春岳がよく見え、三つの山のうちでも上部が削られて木の切り株のような姿をしていた一ノ岳が特に印象に残っています。一ノ岳は石灰石の採掘が進むにつれて姿を変えるため、25年後に再訪して一段と低くなったのを見た時にはなんとも可愛そうな気がしました。
一方、グランドの西側に見えていた山腹の岩肌が階段状に削られた船尾山や関の山の荒々しい姿は子供の頃の船尾を象徴する景色でした。
福田
船尾小学校は2009年に惜しまれつつ閉校いたしました。