・学校の南側には好間川が流れていた。ただ上流に常磐炭鉱があり、掘り出された石炭が洗わたため川の色は常に黒かった。北側には水田が広がり田起こしからしろかき、田植えから稲刈りまで自然と共に生きてきた。さらに北には夏井川が流れアユやオイカワを釣り、また、泳いだりもした。西の彼方には水石山が雄々しくそびえ、好間村を見守っているようにも感じた。そして、はるか東には太平洋が広がり、全ての川の水を受け入れた。私がいた頃の学校の名前は福島県磐城郡好間村立好間第二小学校という。私はこの呼び方に揺るぎない誇りを持っついる。最高にして最愛の母校である。私は1951(昭和26)年生まれ、今年(2019)68歳になる。たった一クラスで6年間一緒だった仲間の健康と長寿を心からいのる。