例)大人になった今、あの時先生が叱ってくれた意味がわかりました。 ありがとうございます! |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白感謝: | YouTubeでLipsさんのダンスを拝見いたしましたがとってもかっこよかったです!あと可愛かったです!本当に高校生なのかと思うくらい大人な方たちで憧れます! |
感謝: | 想い出ありがとう |
感謝: | 昭和42年卒業生です。現在70歳です。バレーボール創立者1人です。三年生の時は体育祭委員長をつとめました。3年間青春でした。今も高校時代二人付き合いがあります。祖父江高校感謝です。 |
感謝: | 君に、ありがとう |
感謝: | 16~18歳迄に自死するつもりでしたが、あなたに出会ったお陰で眠薬を川に流しました。半世紀以上経った今も心の絆が繋がっています。 |
感謝: | 高校野球から変な校歌を検索して見つけました。2年の時にH君に助けられた。彼がいなかったら人生変わっていたかも……今でも思い出します。目立たない存在でしたが、一部で隠れ人気でした。クラスで2人くらい好きだった女子を知ってます。SさんとTさんかな笑。水泳大会であの人は水泳部じゃないのに部の人を抜く謎って言われてました。体育祭では大人しそうなめがねっ子が全力応援しててキャーって引いたから一個下の学年に彼女がいたのかも。英語が得意な人で都内でも上位だったと思います。あまり気にしないで隠してましたね。でもB類ってクラスの理系行ったんだよね、先生がちょっと残念がってた。ストーカーしてないけど(*´艸`*)生徒会みたいな時に壇の上にいました。もうわかりますよね。ありがとう、74〜75生の私です。幸せであって欲しい人です。 |
感謝: | 椎葉先輩、お世話になりました |
感謝: | 30年まえくらいに住み込みで校内を守ってくださっていたシンヤさん夫婦いつも何だかその存在で安心感がありました!☺ありがとうございました |
感謝: | 準特の7組の人は、何人か集まったりしていますか |
感謝: | あ |
音楽室: | ぼろぼろのギターばかりおいてありました。 |
謝罪: | 修学旅行で阿蘇草千里の大自然の中で友だち数人と並んで立ちションしました。50年前の話です。ごめんなさい |
校庭: | 部活 |
トイレ: | やたら汚い |
卒業式: | 1948 卒業 |
校庭: | 校庭の東北方面に畑のあぜ道があり真ん中くらいに出入りができる簡易的な小さい門があったよね。 |
音楽室: | 音楽室どころか、音楽の授業自体あった記憶がない。だから生徒手帳に校歌はあったけど、誰も歌えないw |
運動会: | 3年の体育際で、担任の先生を仮装させるのがあり、私の担任の先生ではなかったけど、他のクラスの先生の仮装した姿がバニーガールで印象的でした。 |
恋: | 思いで |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |