例)運動会ではこの学校恒例の阿波踊りをやっていました。今でもあるのかな? |
その他の思い出ページものぞいてみてください。
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白校庭: | 体育祭の後にパネルの前でクラスみんなと撮った集合写真が最高でした。 |
校庭: | その1:今でもそうかは分からないが、とても細長い校庭だった。高校一年の頃、とても評判の良い教頭先生がお亡くなりになり、学校葬が行われた。先生の棺が校庭を斜めに進んでいくと、校歌が静かに流された。その時とても厳かな気分になったが、その時の校歌と校庭のことふと思い出す。その2;オリンピックに出場した体操の田中敬子さんが都留高校の先輩の池田選手と結婚して間のないころと思うが、この校庭で模範演技をしてくれたこと思い出す。スター選手を実際に見たのはそれが初めてだった。その3;体育授業の時トレパンを忘れ、普通のズボンで出たが、すぐ土に座れなんて言われた。その後の授業の時、土まみれのズボンを女子に見られたことがとても恥ずかしかったこと思い出す。 |
校庭: | 1984年 卒業生です。確か 三年生最後の体育大会の早朝 雨で 中止かと思いましたが カラッと上がりまして 皆で やるぞ~!!!って 気持ちが 一気に 高まったんです。その時の 雨上がりの 若草の香りを 散歩等で 想い出し 懐かしんでおります。 |
校庭: | 勤労体験学習で芋掘りとか焼きそば作ったりしてましたw |
校庭: | グランドいびつな形をした、300mトラックだった。友達と競争したことがある。1500m走で5分15秒で走った。 |
校庭: | S47年頃、土曜日放課後に栃女高とフォークダンスが開催されていた。サッカー部だった私は照れ隠しで硬派ふり、ダンスに行きたい気持ちをグッと堪え、校庭の塀の外で見ていた栃女生にカッコ良い所を見せようとして、ボールでは無く土を蹴って捻挫•••恥ずかしかった。 |
校庭: | 体育祭を山本晋也監督が取材?に来た。 |
校庭: | 部活のコーナーに書けなかったのでこちらに書きました。野庭港は1975年に創立しましたが、野球部が甲子園夏の地方大会に出場したのは1977年が最初です。初戦で善戦むなしく横浜商工に1-6で敗れました。その時の野球部は、部員が9名しかおらず、誰一人欠けることが許されませんでした。当時の新聞には、「野庭高校野球部員9名、手駒なし!」と掲載されていました。それから、2002年までに26回出場し、1984年には5回戦までコマを進めました。全成績は16勝26敗でした。 |
校庭: | 木犀の木の香り |
校庭: | 校舎は、プレハブでその横にトタン屋根の自転車置き場がありました。 |
感謝: | 担任だった、高取先生に今更の感謝。先生や大人たちに敬意の示し方もままならなかった私達生徒に、いつも優しく気遣いを示してくれた、高取先生。母親が手術しなくてはいけなくなった時も、個人的な関心を示してくれたことに本当n感謝します。 |
恋: | あの頃は3年間大好きな女の子がいました とても人気があってそれは可愛い子でした いまいちパットしない自分にいつも優しく接してくれました不思議な位に 今はどうして居るでしょうね あの頃から変わらず幸福を祈っています |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
怪談: | 昭和40年代、木造の校舎に裁縫室があり、幽霊が出るという話を、合宿の時に聞きこわかった~~~ |
謝罪: | ブスで芋でチー牛なき〇きさんは良い引き立て役でした仲良い振りしてたけど周りには悪口ばっか言ってごめーんね |
伝説: | 自分が3年の時、1年がトイレの扉壊してたのは笑ったわ |
卒業式: | 卒業式での仮装は話題。毎年、北海道の夕方のニュースで紹介されるほどで、毎年有名人の格好や、アニメーションのキャラクターなど、人気のキャラクターに扮し話題となり、有名。 |
恋: | みんなの淡い想い出告白しやがれ❗ちなみにMさん3年間ずっと好きだった。 |
教室: | エアコンが職員室で管理されているため、点けても消されることがある |
怪談: | 思い出しても怖いです、俺だけじゃないぞ。一緒に居た人もビビったありえない事を体験した。 |